物語が人を癒す

久しぶりに「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」を読んだ。

先行きがよく見えない今だけど、1995年の対談は、昔は良かったというわけではないことを思い出させてくれた。この本を最初に読んだのは、もっとずっと後だけど、なぜ生きるのか?と何度も立ち止まるたびに、思い出すのかもしれない。

「日本では自と他の区別は西洋のように明確ではなく、「私」といってもそれは「世界」と同一とさえ言える。」という河合先生の言葉。
西洋のとって絶対的な物語として聖書があり、物語はある程度アンチクライストでなければならなかった。
日本には強い神がいなかったので、1200年前に源氏物語のような物語が生まれた。
近代では「心が大事で体が大事ではないという単純な考え方があった」けど、「身体的な感覚価値がそのまま精神的な感覚価値に結びつく傾向が時を追うごとに強くなっている」という村上さんの言葉。
だからこそ、安易な快楽や稚拙な物語の妄想的な暴力性に対する倫理性が問われる。

物語や作品を作ることが、「対応性の遅さと、情報量の少なさと、手工業的しんどさ」でできているから、「早い対応、多い情報の損得、大量生産」の傾向に人間のたましいに傷つけ、その情報の嵐が去った後、一人の人が作った「もの」が人を癒す。

人間の病みの根本にあるのは死ぬということを知っていること。
「現代の日本のわれわれは和という点に妙にこだわりすぎたのと、精神と肉体の乖離のために、暴力に関してはすごい抑圧を持っているのです」
病み闇の世界から光の世界へ引き戻すために「ねじまき鳥クロニクル」で揮われた暴力は、歴史的な暴力に呼応する。「日本人は、自分の内にあるこの暴力を意識化し、それを適切に表現する方法を見出すことに努めないと、突発的に生じる抑制の効かない暴力による加害者になる危険が高いことを自覚すべきと思います。」
「正しい」「よいこと」をしようとする意図に、危険極まりない暴力が関与してくる」

暴力性をどう表現するのか?
痛みを引き受け、コミットメントした行動とは?
モラリティー、見えない一線を持ってること。

「芸術の人は時代の病いとか文化の病いを引き受ける力を持っている」「引き受けることで、その人の表現が普遍性を持ってくる」
「自分の物語を見出していく」ことを手助けすること
「各人はそれぞれの責任において、自分の物語を創り出していかねばならない」

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Horus by SOUND8
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