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四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて

4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて
(村上春樹 「カンガルー日和」より)

主人公は、原宿の裏通りで、100パーセントの女の子と出会う。
タイプファイルすることのできない,
でも、50メートルも先からちゃんとわかる,
100パーセントの女の子。
でも「すれ違っただけ」なのだ。
彼は「昔々」ではじまり、「悲しい話だと思いませんか」で終わるせりふを言うべきだったのに。

4月最後の日に、久し振りに読んだ。
思っていたより悲しい話のようだった。
すれ違ったままのラストよりも,
4月の晴れた日に、100%の誰かに会えることが、あんまり素敵なので,
ずっと、心の中で特別の位置をしめていたのかもしれない。

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1年ほど、仕事で東郷神社の近くに通うようになった。

原宿駅の横断歩道を渡り、坂を少し上って、画廊を過ぎたあたりの細道に入り、くねくねと坂を下る。朝9時前、秋は銀杏の葉が舞い、春は木漏れ日が気持ちいい。坂の途中には、おいしくてすてきな食堂があって、仕事場の人とランチを食べに行ったり、午後ふらりとおやつを買いに行ったり。一本向こうの竹下通りの喧騒がうそみたいに、宅配の人が自転車で通り過ぎ、洋服屋さんのテラスにはいつもコーギーがいて、近くの幼稚園の子たちが走りまわったりしている。

その道を通るたびに、この作品のタイトルを思い出した。
「100パーセントの人」、それは運命の人とかソウルメイトとかそういうどろっとかふわっとしたものと違って、もうなにもかもがぴったりな感じにきゅんとする。

夕方、駅に向かってこの道を歩いていたら、一度だけすれ違う時に深々と頭を下げられたことがあった。まったく見覚えのない人で、相手もそのまま立ち去ってしまったので、振り返って改めて声をかけるわけにもいかず、不思議な気持ちのまま電車に乗った。

昔々からの悲しい何かを抱えて、やっと四月のある晴れた朝に、ここで出会うための100%の相手だから、すれ違わざるを得なかったのかもしれない、ふとそう思った。
きっとそれは、1984年4月の夢の中で出会った、あの時に決まっていたのかもしれない。
そして、この場所で出逢ってしまったその瞬間に、新しい物語が始まっている。

追伸。先日、村上春樹さんがこの短編の朗読をされたとニュースで見ました。聞きたかった!!



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