生きる living
生きる LIVING (2022)イギリス
監督::オリバー・ハーマヌス
脚本:カズオ・イシグロ
原作:黒澤明
1952年、第二次世界大戦後のイギリス。
近郊の町の駅から、帽子をかぶりスーツを着てロンドンに出勤する人々。
列車では新聞をめくる音だけがして、誰もが黙り目を伏せている。
ロンドン市役所、市民課に配属された若者ピーター、乗り合わせた同僚。
上司の部長ウィリアムズは、彼らとは別車両に乗り込む。
市役所は、いつも込み合っている。高く積まれた書類、狭い階段、カウンターで話す女性3名。昨日も市役所にきて、公園課や環境課などたらい回しにされた。ピーターは彼女たちについて役所内を回る。児童公園だった場所は戦後の廃物や汚水が溜まり、衛生的にも子供たちを遊ばせられない状態になっていた。彼女たちは、環境の改善と公園整備の嘆願書を、やっと市民課のウィリアムズに受け取ってもらえたが、その書類は机の山に埋もれてしまう。
官僚的な役所仕事。皆書類の山に囲まれ、小声で話し、仕事をしているふりをする。30年務めた役所人生。変わらない部下、入ってきた新人、退職しようとしている若い女性事務員。同居している息子夫婦。小さくて穏やかで波風立たない人生。「今」を維持するための白黒の世界。
物語はこの後、ウィリアムズが午後早退し、クリニックで余命宣告を受けてから、「色」を取り戻していく。
人生の残り時間を告げられたら、何がしたいか?
通勤列車を待つ人、市役所のデスクの書類、悩みも愚痴も話せない家族との夕食、無断欠勤と町のうわさ話、歓楽街でのカラオケ、老舗デパートでの食事、クレーンゲーム。
1952年の日本にもあったであろう風景。そして、今もある風景。
勤勉さと慎み深さという日常。
本当にやりたいことは何だっただろう?
仕事を無断欠勤し、海辺の町へ行っても。
酒も快楽も数日で飽きてしまう。
彼が見つけた「生きる」ことは?
途中まで、ちょっとつまらない映画かなと思っていた。
死を前に人生を振り返る男の物語。彼の見つけた生きることは、偉業というわけではなく、だれかを何かを大きく変えたわけではないことはわかっていた。
それでも、最後に、雪の中通りがかった警官が、ピーターに話しかける。
そのシーンで一気に涙があふれた。
名もない、たまたま通りすがった若い警官。
おそらく地方からやってきて、寒い日にも見回りをきちんとこなす、まじめで正義感のある素朴な青年。彼がピーターに話しかけたことで、すべてが意味を成し、どんなささやかですぐに忘れさられるような事柄にも、そこに関わった多くの命があり、語られない物語があることに気づかされる。
人は喪失を潜り抜け、これ以上何かを失わないようにしていると、本当に生きる意味を見失ってしまう。けれど、一度でも熱い想いで何かを成し遂げたことは、その後の人生を温め続ける。
「世間から称賛されるからやるのではなく、それが自分のなすべきことだからやるだけ」
見終わった後の深い感動は、さすがカズオ・イシグロの脚本なのかもしれない。
https://ikiru-living-movie.jp/
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