夏休みは、プールとじいちゃん
なんだかnoteが書きたくなって、PCを開いた。
なに書こうかな。
下書きはたっぷり溜まってるんだけど、なんだかそこから引っ張り出す気分じゃない。
なにかいいお題はないか……。そう思ってnoteの「お題」をクリックすると、『#あの夏に乾杯』が目に入った。
ああ、そうそう。これ書きたいなと思ってたんだった。しかも期限、今日までだ。
ということで、いい感じにnoteになりそうな夏の思い出はないかと、夏の記憶の引き出しを開けては閉じ、開けては閉じ。
どこを開けても出てくるのはだいたい、幼い頃の夏休みの記憶だ。べつに特別でもなんでもない、夏休みにじいちゃんとたくさん遊んだ記憶。
幼い頃の夏休みは、宮崎のじいちゃんばあちゃんちに行くことが一番の楽しみだった。私は相当なじいちゃんばあちゃんっ子だったから。
ばあちゃんは足が悪かったから、あまり家を出ることはなかった。その代わり、じいちゃんはよくプールに連れて行ってくれた。
流れるプール、とある旅館に併設されているプール、山の近くの川をネットで囲ってプールみたいにしたプール。たいていその3つを代わるがわる連れて行ってくれた。
たまに、庭のちょっとした窪みにブルーシートを敷いてホースで水を入れた、じいちゃん手づくりのプールで遊ぶときもあった。
あの頃の夏休みの記憶には、ほとんどじいちゃんがいるな。本当に毎日のように、遊んでくれてたよなあ。
PCと向かい合いながら、いつの間にかずっと、じいちゃんのことを考えていた。
船で釣りにいったり、自分でスイカを育てたり、庭でBBQをやるときは自前で長椅子をつくったりするくらい、とても活発なじいちゃんだった。
「長生きするだろうね」
家族みんなが言っていたけど、たった69歳で亡くなってしまった。
毎年お盆は、玄関近くで迎え火を焚きつけるじいちゃんの様子をよく見ていた。
でも今は、じいちゃんは、私たちが焚いた火を見つけて空から帰ってくるんだよな。この前ひさしぶりにお盆に宮崎に帰って、迎え火を焚いているときに、思った。
じいちゃんが亡くなってもう6年くらいだ。私は22歳で、大学生で、名古屋に住んでいて、PCを前にひとり、じいちゃんの記憶を引っ張り出しては泣いている。
口に出したことはなかったんだけど、正直、じいちゃんが亡くなった実感が、私にはまだないような気がする。
だからじいちゃんを思い出すと、思い出のなかにしかいなくて、ああ死んじゃったんだよなって、涙が止まらなくなる。それが今。
ああ本当にやばい。明日、目腫れないかな。
ありがとうございます。大好きなスタバ(ガソリン)に使います。