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エピソード#2 家族介護を経験して ~余命一ヶ月の義父と過した26日間~


                
夫婦で熱海に移住し介護タクシーの事業を起業したのが2013年。
今まで多くの利用者様と関わってきたが、自分たちが家族介護を経験したことはなかった。
2020年の12月、余命一ヶ月と宣告された熱海の自宅に迎え入れ、26日間という短い期間であったが、家族介護を経験した。
 
病院で入院しながら、最期を迎えていたかもしれない義父。
コロナ禍で面会もできない中で、希望も無くなり、「このまま人生を終えるのか、、」と、悲しみに暮れていた。同じように、息子である夫も「このまま父親を病院で最期を迎えさせる人生でいいのか?」と悩んでいた。
 
夫は10歳の時に事故で生死の境をさ迷い、生還した時から、自分の命が助かった意味、使命を考えていた人だった。自分が入院していた時に、窓のないICUのベッドで、寝返りもできず、ただ天井を見ていた日々。桜が咲いたよと教えてもらっても見ることができない。
「学校に行きたい。外に行きたい」と願い続けたあの時を思い出す。
 
外出するのに困っている人の役に立ちたいと起業した介護タクシーの車でたくさんの方の送迎の御手伝いをして喜んでもらっているのに、自分の父親にはなにもできてないと悩み、私に相談があった。私も夫が悩んでいたのはわかっていたので、相談をされた時には、「なんとかなる。熱海に迎えいれられるか、考えよう」と答えた。
 
熱海に迎え入れるにあたり、義父の病が骨髄異形成症候群で白血病に移行していて、輸血も定期的に必要、病状も深刻で、急速に進行していくことは予測され、熱海の訪問診療の医師に相談し、10日間程でいろいろな手続きをし、都内の病院を退院。私たちは仕事をしながら、必要なサービスを利用し、義父の介護がスタートした。
 
義父は、命の尊さ、今までの人生、残された人生について改めて考えた日々だったかもしれない。
車椅子での移動が必要になった義父は、病状的にもデイサービスなどに行ける身体ではなかったので、日中は、私達の会社に一緒に来てもらい、社員にも協力していただきながら、一緒の空間で過ごした。
 
義父は熱海に来てからも何度か命の危機はあり、その度に、残された課題が見えてきて、私達と一緒に解決していった。背負っていた課題をひとつひとつ下ろし、関わってくださった方々に感謝の言葉を伝え、心残りだと言った家族との関係を修復し、穏やかに年越し蕎麦を食べながら年越しをし、輝かしい初日の出を見て感動し、美味しいものを食べて、母校が出場している箱根駅伝を見て、満足したお正月。
 
体調が不安定になった亡くなる数日前からの数日は、夜間も頻繁に義父のコールがあり、何度も起きて対応し、昼間も介護をしながら仕事をし、睡眠時間はかなり減り、心身ともに疲れも出ていた。
 
寝たきりになり、どうしようもなくなった日の朝、都内に住む義姉、義弟にSOSを出し、駆け付けてくれて、私達が仕事に行っている間、義父の側にいてもらえ、本当に心強かった。そして、訪問診療の先生や訪問看護のナースも、私達の身体やメンタルの事、そして義父の病状が進行していく中で仕事との両立が大変になってきていることなども、気に掛けてくださり、サポートしてくださり、心が救われた。
 
病状が一気に進み、自宅では看ることが もうギリギリで入院となった。
酸素4リットル流量しながらの義父を、夫、私、義姉弟の4人で布担架で抱え、外階段を降り、ストレッチャーに移乗し、嫁の私が入院先の病院まで送った。この日は、熱海で火災があり、道も大渋滞。車中で意識が朦朧としている義父に、みんなで声を掛けながら、病院に到着。
 
義父は入院した翌日に虹の橋を渡った。
自宅で看取れなかったという負い目があったが、病院の医師からも「あの状態でよくギリギリまで自宅で看られてましたね」と言っていただき、『そんなふうに思っていいんだ。そっか、私達、がんばったんだな〜』と、報われた気がした。
 
私達も仕事をしながら義父を介護し、大変ではあったが、たくさんの方の力を借りて、支えていただいて、振り返れば、とても充実した日々だったと思う。
義父は、本当は、住み慣れた東京の自宅で余生を過ごしたかったかもしれない。
でも、義父は何度も「熱海に来て良かった」と言ってくれた。
嫁の私に「○○ちゃん(夫)と結婚してくれてありがとう。ご両親もいるのに、自分の面倒を見させてごめんね」と言ったり、元旦には、私の両親に電話で「愛美さんを産み、育ててくださりありがとうございます。」と涙を流しながら伝えてくださった。
 
私は、東京で同居してた時は、義父に反抗したりもしたし、決して良い嫁ではなかったが、義父がまだまだ元気な時で、神田川沿いを一緒に散歩したりと、よく一緒に歩いたなーと懐かしく思い出す。
義父の介護を通して、本当の意味で介護をされているご家族の気持ちがわかった気がした。
誰にもいつかは訪れる最期の時は、私もたくさんの感謝の言葉を伝えていきたい。

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