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15年間ーー共育ち、育自、個育ての土台に感謝を込めて

今日が最終日。長男、次男、三男と続いた保育園生活。とはいえ、仕事でせっかくの最終日をゆっくり堪能できないのが、我ながら残念ではあるけれど、今日が私たち家族の節目であることには違いない。「ありがとう」「お世話になりました」の気持ちを言葉に代えて綴りたい。

頼りにしていた「粗食」の給食

保育園と出会ったきっかけは子どものアレルギーだった。湿疹が酷くて、痒がって…毎晩、寝られなくて大変な時期に「いいかもしれない」と聞いたのがきっかけだった。

長男は最初、訳もわからず、私の職場復帰に合わせて、駅近の無認可保育園へ。12月入園という時期も時期だから、他に選択肢はなかったけれど、4月から今の園にお世話になり、噂通りの「粗食」を大切にした給食で、本当に助かった。

醤油やみりんなどの基礎調味料、減農薬・無農薬のお米に野菜、国産の質の高い肉や魚、素材の良さを活かし、余計な手を加えず、手作りで。子どもが大きくなるにつれて、家で食べるごはんの量も増え、また小学校にあがって市販のおやつを学童で食べるようになり、保育園の心尽くしの給食がどんなに贅沢か、思い知るようになる。

子育てがドタバタで日々、余裕を欠き、朝食がごはん+のりや納豆、しらすだけなんて日も未だにザラにある。栄養たっぷりの手作り給食がどれだけ助けになったか。今流行りのファスティングでこそないものの、乳製品や油脂を避けた粗食の日もあえて設けていた。日本人が昔から食べているものにこそ、今摂るべき栄養素が詰まっている。それが言葉じゃなく、日々の食事で伝わってくる給食だった。

成長と共に食物アレルギーは改善し、いろいろなものを食べられるようにはなったけれど、彼らの幼児期の健康の2/1(朝食と夕食を除いた昼食とおやつの比率から)は保育園の食事に支えられた。1番大切な時期の味覚を覚える一端を保育園に支えられた。今は業者のお弁当やセンターでの給食作りも進む時代だろうけど、給食で保育園を選ぶのもおすすめかもしれない。健やかさを支える食事には、保育の方針が大きく影響するから。

大人も一緒に育つ存在

子育てっていうからには、大人が全部知っていて、子どもに教えなきゃいけないのか。そうじゃない、大人も子どもと一緒に育つんだ。そう教わったのが保育園で知った「共育ち」の概念だ。

子どもたちは保育園に通って、友達や先生との関係を築いていく。じゃあそこへ送り迎えする保護者は? 保護者も一緒になって、関係を築こう。困ったことがあったら相談しよう。支え合おう。大人だって完璧じゃないんだ、と認めてくれる保育園だった。

今はコロナ禍ですっかり交流も遠のきつつあるけれど、数年前まで、大型行事の後には保育園のホールで子どもはジュース、大人はビールを片手に、あれやこれや話すのも定例だった。そうしてはじめて、普段は口にできない本音が出てくることもあった。

気づいた時がチャンス。何度だってやり直せる。子どもと大人が一緒に育つ場は、温かく、優しく、安心できる雰囲気だった。学校にはまだない保育園の良さがこのフラット感…人と人同士が学び合う関係にある。

自らを育て、個性を認める風土

育児は育自。子どもを育てると同時に、自分自身が育つ機会でもある。一方的に育てるなんて、おこがましい。双方向だからこそ、人は気付く。育つ。

人は1人ひとり異なる存在。言いたいことをちゃんと伝えよう。それを認めよう。言いたいことを言える、心理的安全性の高い組織づくり。それは保護者も、職員も。子どもと大人が本音で向き合う保育園。子育ては個育て。それを体現する保育が素晴らしかった。

何か特別なプログラムがあるわけではない。子どもや保護者はお客様ではなく、共に保育園に集う仲間。卒園してもずっとつながりを。そんな場にご縁をいただき、本当に恵まれた15年間だった。

先生方、一緒に保育園で遊んでくれたお友達と保護者の皆さん、本当にありがとうございました。また会える日を楽しみにしています!

…と書きつつ、そうだ、末っ子の入学式にはランドセル姿を見せにくるんだ、と来月の再会に戸惑うばかりだけど、まずは今日一日の子どもたちの恵まれた環境に感謝して、私も年度末最終日の仕事に集中しよう。

安心して産み育てやすい社会を作るため、また社会全体で子育てを支援する仕組みを作るため、サポートいただけると嬉しいです。いただいたサポートは、あいのちの活動で使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。