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夫と子:現在進行形の家族の物語

家族について振り返るシリーズ。自分の赤ちゃん時代のアルバムを見返していたら、すっかり今の家族について、書く時間を確保できないまま今日を迎えてしまった。最後に付けたしのようで申し訳ないけど、書いておきたい。現在進行形の中での現地点に至るまでの経過と、今の状態や気持ちを。

夫 見た目と中身のギャップ、それは私も?

夫との出会いは野外活動団体だった。学生時代に子どもと外で遊ぶキャンプリーダーをしていた。私が野外活動を始めたのは別の団体だったけど、修行のつもりで行った老舗の団体で出会った。

最初の出会いが衝撃だった。初対面でいきなり、子どもたちに「この人と俺、どっちが年上だと思う?」と聞いたのだ。なんだこの失礼な人は、と軽くショックを覚えた。見た目も若く、なおこのデリカシーのなさ。当然、年下だと思った。でも蓋を開けてみれば9つも上だった。

だけど、内面は繊細だった。がさつで大雑把なのにナイーブで傷つきやすい。メンタルが落ちている夫を支えたのは私だと自負している。今でもしょっちゅうそんな感じ。でも夫からしてみたら、器用そうに見えて、実はいろいろダメなところが満載の私をしょうがなく支えてくれているのだろう。夫婦って、やっぱりお互い様なのかもしれない。

ただ、ただ、一緒にいるだけで楽しかったころ。この後、こんなに壮絶な人生が待っているとは…

長男 今の私に導いてくれた最も影響を受けた人

長男の出産は自宅を選んだ。地元の産院も見学したけれど、直感的に「ここでは産めない」とわかった。そして調べれば調べるほど「自宅がいい、自宅で産みたい」と思うようになり、それが実現できたのは、やっぱり助産師さんと長男のおかげだ。このことはまたゆっくり書いていきたい。

長男が生まれたころ、私は転職して1年にも満たなかった。そこで何度も「仕事を辞めるのも子どものためかもしれないよ」と言われた。でも学生時代から憧れていた、念願の編集記者職で、家計のことを考慮しても、絶対に辞めるわけにはいかなかった。だから産後2カ月で職場復帰した。

誕生当日の長男と若かりし頃の夫。おなかの中から出てきて、眩しいねぇ

長男の物語も語り尽くせないほどあるが、ひと言で表現するなら「私が人生で最も影響を受けた人」かもしれない。アレルギーやアトピーでものすごく大変だったけど、自然って何だろう、健やかさって何だろう、対話って何だろう、対等でフラットな関係って何だろう、発達って何だろう、教育って、学校って、成長って、親子って、家族って、家庭って…と私に多くの考える機会と山ほどの気づきをくれたのが長男だ。

次男 私に似つつも夫の価値観を敬愛、今を楽しむ楽天家

次男を妊娠中、デトックスで咳が止まらなかった。ホメオパシーを中心に、排毒を続けていたが、次男の誕生直後、私は「マイコプラズマ症候群」と診断されてしまった。立派な感染症だ。自宅出産なのに、産後は母子別室で、授乳だけ一緒にいられる生活が続いた。

何でも興味津々。じっと観察して、表現豊か。3兄弟で一番イケメン?

6年ほど、2人兄弟の末っ子だったのに、三男が生まれてその地位を奪われた。長男ほど、たくさん写真も残っていない。真ん中ならではの厳しさもあるだろうけど、器用だし要領もそこそこいい。(そこそこ、という微妙さがちょっと悲しいけれど…)3兄弟で最も今を楽しむのが得意そうだ。

突発的、衝動的な行動特性と、優しいのに人に厳しい二面性が私と似ている。だからだろうか、夫を敬愛し、夫の価値観に最も近いのが次男かもしれない。私とはぶつかることもあるけど、中学生になってようやくか、たまには甘えてもくれるようになった。話が合うときには、そうそう、と互いに納得するポイントがあり、母としては嬉しい。

三男 人と人をつなぐ、だから自分を大切にできるように

家族としていろんな山谷を乗り越え、揉まれて大変な思いをしながら生きていた。母が亡くなって数カ月後、三男を妊娠。バラバラになりかけていた家族をつないでくれたのがまさに三男の存在だった。

意図せずして、助産師さんが自宅に来る前に、家族だけで誕生を迎えた。2人きりの兄弟が3人になり、上下関係が社会になった。私も夫も、活動の幅が広がり、家族の外にも、たくさんのつながりをつくってくれた。

鴨川自然王国で、夫の大好きなドラクエの服を着て。目の前にある環境を一番自然に楽しめる人

今でも自分より家族や友達のことを優先しようとしてしまう三男。だからこそ、その優しさを大切にしつつ、自分をもっと大事にしてほしい。自分を置き去りにせず、ちゃんと向き合えれば、目の前の相手のことも同じように大切にできる。自分をおざなりにして、人のことを満たすのは難しい。まずは自分が何を感じ、考えているか、どうしたいか、耳を傾けてもらえたら。

昭和から平成、令和にかけての子育てで理解したこと

私の赤ちゃん時代の昭和をずっと書いてきて、最後にちょこっと、平成の終わりと令和の子育てを振り返ってみた。そして、気づいたことがある。

昭和の時代は、家族のつながりが豊かだった。親戚のつながりが濃かった。でも今は、核家族が増えているし、親戚と言っても価値観の多様化がどんどん顕著になっている。家族だけがすべてのつながりじゃない。

家族だけで完結しなくてよいのだ。子育ては家庭だけですることじゃない。5年、10年で環境が激変し、暮らしや教育・福祉の困難さが深刻化する今、親だけで子を育てるなんて、無理がある。家族と、友人や支援者、その住まう地域で紡いで行けたらよい。家族の外に、そのつながりは広がる。大きな意味での家族。それが新しい時代の家族のかたちだと、16年間、子育てしてきて、私の中で意味づけされ、落ち着きつつある。

家族を超えたたくさんの支えを得て、こうして家族でいられることに感謝して…

あなたの「家族」はどんな形やつながりですか。2022年12月17日(土)9:45から、全日警ホールの会議室で始めます。ドキュメンタリー映画『うまれる』を鑑賞して、家族について語る会を。

安心して産み育てやすい社会を作るため、また社会全体で子育てを支援する仕組みを作るため、サポートいただけると嬉しいです。いただいたサポートは、あいのちの活動で使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。