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42|特別支援教育の授業

私は中学校の先生を目指している。

教員免許を取るためには、特別支援学校教員志望でなくても特別支援教育について学ぶ必要がある。

そろそろ前期の授業が終わろうとしている。
テストを乗り越えれば、とりあえず終わりだ。

でも私は未だにその授業での自分の存在、立ち位置、それがわかっていない。

いつも一緒にいるみんなと教室に移動してくる。
チャイムが鳴る。
先生が来てプリントを受け取る。
筆記用具を出す。メモをとる。

その7割の時間、私は大勢の中の“ひとりの学生”でしかない。
一方で、残りの3割、私は“自閉症の弟を持つきょうだい児”になってしまう。



私は去年からこの特別支援教育の授業を大変楽しみにしていた。

自閉症で特別支援学校に通う弟を持つ私は、幼い頃から障害という分野に触れることが多かった。弟が通う療育や病院、学校(特別支援学級)もそうだし、そこで会う弟と同じような障害のある子たち、親、きょうだい。そんな人たちがいること、そんな場所があることを当たり前に知っていたし、「弟と生活すること」=(周りから見れば)「自閉症の人と関わること」は私にとって日常なわけである。今もだ。


でも成長するうち、それは普通ではないと知った。

みんなは障害のある人と関わったことがない。特別支援や障害に関するコミュニティがあることを知らない。

だからこそ、大勢の中で『障害』だったり『マイノリティ』というキーワードは、私の得意分野になったわけである。

もちろん私の興味が障害に至った要因は、環境だけではないだろう。きょうだい児でもそういった分野に興味を持たない人だってたくさんいるし、きょうだい児だからといって福祉や教育、医療に関わらなきゃいけないわけじゃないよ!!というのは子どもたちに大いに伝えたいことである、という話は置いとくとして。

まぁとはいっても、弟がいなかったら私は良くも悪くも障害なんてものはよく知らなかっただろう。今は特別支援教育に携わりたいという思いがある。どんな子どもでも幸せになれるお手伝いがしたい。

というようなわけで、私は去年から特別支援教育の授業を心待ちにしていた。



授業が始まった。
第一印象は大変良かった。

ただし、次の週には気づいてしまった。

あ、これ、だめなやつだ、と。
これ、私苦手なヤツだ、と。

先生は私たち学生にこんな課題を出したのである。

「みなさんはこれまで障害がある人と関わったことはありますか?また、あなたはそこでどのようなことを感じましたか??具体的なエピソードを含めて教えてください」

それを見た時の私は、まるでこの世の終わりのような顔でありながら、頭から角を生やしてイライラし、口をあんぐりと開けていた。
つまり、絶望であり怒りであり悲しみであり呆れであった。複雑すぎてなんとも言えない。


あ、あのねぇ、!!
こちとら毎日自閉症の弟と暮らしとんじゃ!!
経験?エピソード?何を感じたか?

なんもないわぁ!!


先生が何を求めているのかは、容易に想像することができる。
これまでを振り返りながら、良いこと悪いことをあげてもらって授業に活かしたかったんだろう。

もっというなら、経験がないのは障害者の社会参加ができてないからだとか、インクルーシブ教育ができてないからだとか、そんなことに繋げたかったんだろう。

でもさそれってそんなに貴重なものなのかな?

私は矛盾を感じる。


「障害があってもみんなと同じように」と、ここまで授業を半期受けてきて散々聞いた言葉だ。その通りだと思う。

だったら、わざわざとりだして経験として書かせる必要はあるのか??

「思いやりは時にありがた迷惑」「手伝うことが偉いとされるのはおかしい」、これもわかる。

でも、「障害があっても普通級に在籍したらみんなが優しい子に育った」というビデオを私たちに見せるのはなぜ?なんのために見せたの?


他にも、たくさんの、もやもや。

そしてその時顔を出すのは、学生としての私ではなく、きょうだい児としてのわたしなのだ。

学びとして特別支援教育を受け入れる、別の言い方をするのであれば、“客観視”をしなければならない。ある時そう言われたことがある。

興味のキッカケはなんでもいい。多くは自分の経験や思い。あなたの場合は弟さんでもいい。
でも、本気で学ぶのであれば、時にその自分を手放して客観視できるようにならなければいけない。

遠回しになったが、つまりは、主観と客観の使い分け、公私混同しないこと。最近の私は随分とそれができるようになってきた。


だが、だめなのだ。
障害の話はその皮を剥がそうとしてくる。

いくらがんばっても、私の本体はわたしで。

見てみる方向を変えても、見ている本人は変わらない。

わたしが顔を出してしまう。


なんで?
障害はおかしいこと?

キレイゴトばかり、現実を知らないくせに。

そうは言っても実現はできないよ

理想ばっかり並べないで

私は毎日一緒に過ごしてるのに。

お姉ちゃんだってがんばってるよ。

わたしのことも見てよ


障害の方が出ているビデオを見る度に思う、弟もこんなふうに思っていたのかな。

一緒に映ってるきょうだいさんたちを見て思う、あの子たちは大丈夫かな。

そしてどんな話もどこか薄ら笑いを浮かべながら聞いている、自分。


私が今、いちばん向き合いたいことであり、いちばん避けたいこと、特別支援教育。

どう付き合っていけばいいのか私は迷っている。



そして今日も家に帰ったらそこにいる、自閉症児。

彼は、障害児である、私の弟だ。

かわいいかわいい弟。

「お姉ちゃん、この駅メロ何駅か知ってる?」って楽しそうに聞いてくる。(知らん)


彼は日々、何を感じているのだろう。

何を感じ、何に困っているのだろう。
何を楽しみに生きているのだろう。

ほんとは言いたいけど言えないこともあるのかな。

でももしかしたらほんとに何も考えてないのかも。


そんなことをふわふわと考えながら今日も授業を受けていた。

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