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40|ヤングケアラー、結局なにしてほしいん?

『ヤングケアラーなど「ケア」することによって自身のキャリアに影響を及ぼしてしまう人について、できることは何か教育の視点から考えなさい。』

教育学を学んでる私が、授業で課題として出された問題だった。

私はおそらくヤングケアラー当事者。

考えたくなくて先延ばしにして、提出期限ギリギリになった課題だった。


で、どうしたらいいん?
結局なんしたらいいん?


ヤングケアラーってなあに?

ヤングケアラーってな、日本ではまだ定義されてないらしい。知ってました?

『法令上の定義はありませんが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされています。』
だそうです。

定義はないけど、厚労省がね、こういうのが当てはまりますよーっていう例を(一応)提示してるの。

病気や障害のある家族の代わりに家事をしている、身の回りの世話をしている、介助をしている、働いてる、など。

ここら辺はよく聞く例かなと思うし、実際深刻な問題だと思う。

でもこんな項目がある。

「障害や病気のあるきょうだいの世話や見守りをしている」

これ、当てはまるなと思った。


ご存知の方もいるかと思いますが、私には自閉症・発達障害のある弟がいます。つまり、きょうだい児です。

きょうだい児がヤングケアラーに当てはまるかどうかは、必ずしもそうでなくよく議論にも出されるし、結局は自分がどう思うかでいいと思う。

私も自分がヤングケアラーだと名乗ることについては、迷うところがある。なぜなら、私の弟は日常動作に介助は必要がなく、私は「ケア」していないから。深刻度で言ったら、そこまでじゃないと思う。

でもこの項目を見たら、もっと迷った。
当てはまる部分もあるのかな、と。



で、結局なにしてほしいん?

最初の問題に戻ろう。

教育としてできることは何か、とあるが、今回ここでは「教育」という部分は、除いて考える。

『ヤングケアラーにできることはなにか』

なんだろうか。
できることなんてあるんだろうか。

授業内では、社会制度の整備、施設など他の人に助けを求められる環境、地域住民との連携の必要性などが書かれていた。
世間への周知や子どもの心に寄り添うことも大きな力になると言っていた。

その通りかもしれない。
でも果たしてそれは、根本的解決になっているのか?


問題は、介助だけじゃない。

話を聞けば解決するのか。
早期発見すれば解決するのか。

心理的に寄り添う ってくれる人がいることは、とても大きな支えになるし、必要だと私も思う。
仲間がいるって、強いもん。


でも、

じゃああなたがやってくれるの?

って、思っちゃう。



「ケア」は生活。

400字程度の簡単な課題。
みんなはちょろっと考えて出してるだろうし、先生は当事者がいることって考えてるんかな。考えてても現実味ないんだろうな。と思う。

きっと他人事。

ずっと、ずっと続くんだよ。

「ケア」は、私(たち)にとって生活だ。
生活の“一部”ではない。それ自体が生活なのだ。

正直に言えば、きっとそれは他人が想像している以上に残酷なことであり、分かろうとすることはできても、決して分からない感覚だと思う。

毎日の生活の中にケアをするということは当たり前に存在している。
自身のキャリアに影響を及ぼすということがどこまでのことを定義するのか分からないが、生活となっている以上、キャリアはもちろん人格形成や人生自体に影響を及ぼすことはきっと当たり前でしょうがないこと。

例えば「弟が障害児でなければ」
そんなことを考え始めたらあらゆる可能性は浮かぶし、実際今の私では無い私がいたと思う。

でもね、そんなこと考えるのは、世間が許さない。悪い考え。
その環境で生きているのが、ヤングケアラー。

教育なども含めて、支援をすることは必要。
しかし、これらは根本的解決にならないだろうというのが私の考え。

知ったから、話を聞いたから、仲間がいると分かったから、家族と関わらなくていいことには繋がらない。

誰かが代わりに自分の代わりをやってくれるわけでもない。
生活である以上、その現実を変えることはできない。



しんどい君に伝えたいこと

じゃあ、どうしてほしいん?

んー、わかんない。
わかんないです。笑

そんなん聞かれたってわかんないよね。

難しいもん。
不満ばっか言ってるけど、まぁそんな簡単には解決しないことは私だって分かってる。


でもね、これだけは言えるよ。

「難しいことわかんない」って言っていいんだよ。
「知らないくせに!」って思っていいよ。

なんにもできなくてごめんね。
しんどいね。
がんばってる君はすごい。
家族やきょうだいのことたくさん考えてる君は、本当にえらい。がんばってる。

わかんない。
なにしたらいいか、なにしてほしいか、
そんなことわかんないけど、
「しんどいよ」って言うことが、もしかしたら、いつか、なにかに繋がるかもしれないね。


『できることはなにか』

結局は、

私たちの声を聞いてください。

結局そんなことかもしれない。





余談。
大学生になってから、根拠を明確にすることを求められるようになった。資料や文献を参考にしろって言われるようになった。
それは、有力な理由になるけど、でも私は気持ちや感情を抑えろ、って言われてる気がしてならない。

数字がこの世をつくってるわけじゃないと思う。感情って絶対にこの世にあると思う。

だからここだけは、感情で書きたいな、と。
そんな考え、根拠あるの??って思われることも、間違ってることを書いてることもあるかもしれないけど(それは普通にすみません)、でも思い立ったらすぐバーって書けるところであってほしいし、

それこそ誰かに届くこともあるんじゃないかな。

何より、感情があるって、すごいことだと私はもう知ってるよ。

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