ツイッターにおける選挙の観測方法

今週末は東京都の都議選で、ツイッターではあちらこちらで、選挙活動が行われていた。偶然、それを見ていた時に、かなり極端な見解を見つけた。

これはその発言をまとめたtogetter。

この中の発言の中で、気になる発言を見つけた。それは・・・。

政治は"党"ではなく"人"である。

これは、確かに、理想形だと思うし、市長や町長など小規模な状況での政治ならそうなのかもしれない。

ただ、この考えは、これが一回目ではなく、前にも似たような話を聴いたことがあった。そして、この考えは、ある種の弱点の原因になるということを経験的に知っている。それは、その党が実際は非常に不合理なことをやっているにもかかわらず、そこにいた人物が魅力的だと、その党自体の危険性を軽視するということ。正直、「木を見て森を見ず」というやつだ。

党は人の集合体であり、その特定の人がいくら立派な思想の持ち主でも、結局は党の総意がどうかということによってしまうという点を忘れており、その推している人物が立派な人物であっても、党に影響されないかといえば、そうでもないと思う。

まあ、そこは人の勝手・・・と昔は思っていたが、どうも、かつて見た何人かのフォロワーで同様のことを観察していると、党間や派閥間の闘争を嫌悪して、その結果、特定の人物にすがるという傾向が見られた。

例えば、前見たのは、過去に表現規制に関して反対している政治家を推していたが、その政治家はある表現規制を推進している派閥に組しているところだった。その点で、その政治家は疑問視をされていたが、その人物は、「その党内に入り込んで、その党をかき乱すだろう」と考えていたようだ。しかし、その党に対して快く思わない人物から攻撃されていたらしい。まあ、正直のこと、その政治家に票を入れたとツイッターでつぶやかなければ争いごとには発展しなかったように思えるが、表明をしてしまった。結果的に徐々に意固地になっていったようにも見えた。

ここから、党の存在や党派性を無視して、特定の人物だけを見るということはある種の危険を伴う行為だと考えた。一つは、その人物の考えが必ずしも党の考えに反映されるかはわからないということと、二つは、意固地になっていくこと。党間の闘争は選挙では、大いに起こりうるため、どこかで、自分の推している政治家のネガキャンをしている勢力には出くわす。その時に、ある種の信者と教祖のような関係が成立して、結果的に、その政治家を批判する者は敵だという考えが芽生え、本来、党間の闘争を嫌うところが、その政治家の信者とそのアンチという構図の闘争を始めることがあったりする。こんな感じに意固地になっていく。

こういったものを何例か見たことがあったので、この唐澤貴洋弁護士の姿勢は非常に疑問なものに映ったのであった。大西洋平氏に過剰な期待を唐澤貴洋弁護士が抱くため、それに反対するものを過剰に非難するような感じになるだろうとね。実際、ツイートを見ていくと、自民党をやたらと持ち上げ、代々木と立憲民主を攻撃するという落選運動に出たという結果になった。

本来、その政治家を推しているなら、その党がこういった政策や条例を作ることを考えており、その議員はその急先鋒であるため、推しているという、ビジョンを本来は語らなくてはならなかったのではないかと個人的には思うのだけど、実際は、そうではなく、他の党を批判したり、若者に過剰な期待をし、若者を煽動するようなツイートを繰り返すといった結果になってしまった。

これは果たして、有効な方法だったかというと疑問を呈するやり方だと思う。なぜなら、むやみに敵を作るし、実際、大の大人がみっともないというのが本当のところだったから。

さて、このようなことを見て、思うのは、ツイッターに限らず、政治や社会問題を見る際には、心構えのようなものが必要ではないかと個人的には思っている。具体的には、

1.政治クラスタを見る際は、RTやシェアやリプやいいねをつけるのはある程度、状況が読めるようになってから。

2.政治クラスタを見て、党派間の対立を容認できないのであれば、一切見てはいけないということ。

3.基本的に特定の信頼できる政治家がいると思ったら、冷静にその政治家が属している政党の方針を見ること。

4.基本的に、叩かれることや党派性の争いを容認できないのであれば、政治に関しては安易につぶやかないこと。特に「どこに入れた」とか「誰を推している」とかは決して言わぬこと。実際、選挙の四原則の中に秘密選挙があるわけなので、どこに入れたかは、言う必要はない。(なお、これはネットに限らずリアルでもそう。たまにしつこく聞いてくるのがいるけど、決して言わないようにしている。)

とりあえず、今までのことから、この四つを念頭に入れておいた方がいいと個人的には思う。

また、選挙活動に参加する際は、

1.基本的にネガキャンは避ける。

2.敵対している候補者がよほど、嘘で塗り固めた政策を公約にしていると判断できる場合はネガキャンをしてもかまわないと個人的には思う。

3.もし、自分の候補者が当選した場合、その党はどのようなメリットを市民に与えるのかを説明すること

この三つを意識した方がいいと個人的には思う。

もっとも、私は岡目八目の状態。実際に政党に属したこともなければ、ボランティアでなんかやったわけでもなく、特にデモに参加したわけでもないので、実際にそういった活動家から見れば、項目が足りないと思われるかもしれないが。

とりあえず、政治クラスタを見ると、選挙の前には、党間バトルが行なわれ、選挙の後にもいろいろと当選者とその投票をした人に対して「疑問の声」がかけられることが多くあることを知っている。その時に、その「疑問の声」を単に「アンチの戯言」とするか、「まあ、自分が入れたところも絶対ではないし、警戒してニュースや動向を見て、次の選挙にどこに入れる先を決めるための材料にするか」と考えるかで、後々、大きな差になると考えられる。前者だと、「自分の入れたところは絶対的に正しいと妄信することにしかつながらなかったり」「自分が一生懸命考えたのになぜ非難されるのか?」といったネガティブな考えになっていくということを目撃したことがある。

私の私見では、そもそも、入れた本人は別に全知全能の神でもなければ、お釈迦様でもお天道様でもない。その時点では、この党に入れればいいと思って入れただけ。当然ながら、過去にその党がやらかしたことや、その党のボスがやらかしたことを、知っている者からすれば、快く思わないのは当然。それに、どの党にもそういうことは起きる。

だから、そういったネガティブな話を聴いたなら、今後のその党の動向を見つつ、その党に次に入れるかどうかということを冷静に考える材料にすればいいと思う。

ただ、ここで、そのネガティブな情報が本当に正しいのか?というのを調べるには時間がかかるし、実際、的外れな指摘やフェイクだったりするので、そのあたりは「ハズレ」の情報を引いたものは「ご愁傷様」だと言ってあげる。

まあ、実際は、テレビや新聞やネットのニュースや該当する社会問題の本を読んだりして検討したりするのだけど、結局は、これは勉強につながるのではないかと思う。

まあ、少なくとも、ここまで、ゆっくりやってる時間はないだろうから、最後は自分の勘になるかもしれないが、一つ言えることは・・・「選挙でどこに入れてもいいので毎回行け」ということか。世の中には「選挙に行っても世の中は変わらない」とかいうのもいるけど、そもそも行ってないから"変わるはず"はないし、それ以前に本当に世の中が変わっていないのかといわれると謎。特定の勢力の意見がまかり通っていて、いつの間にか、"その勢力に都合のいい社会"に作り替えられているかもしれない・・・。気が付かないうちにね・・・。何とは言わないけど。

だから、「政治闘争」に関わることは勧められないが「選挙」に行くことは大いに勧められる。

まあ、人生は一度きりだし、厭世的にならずに、自分の入れたい党に入れてみればいいと思う。但し、入れるところや入れたところは基本的には「自分の胸のうちにしまっておけ」とも言っておく。(但し政治屋と活動家は除く。)

注意:これは個人的にいいと思うやり方なので、人によってはもっとスマートな方法を知っているかもしれない。まあ、そこは日々勉強ということで。

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