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2024年アカデミー賞を見て思ったこと

 こんばんは。あいしんかくらです。

 現地時間3月10日、米国アカデミー賞の授賞式でしたね。
 授賞式について、居ても立っても居られなくなってしまったので、自分の意見を少し書こうと思います。

 アカデミー賞のトロフィーは、例年前年の受賞が手渡すことが慣例になっています。主演女優賞で壇上に立ったのは、マレーシア出身のミシェル・ヨーさん。助演男優賞は、中国系でベトナム出身のキー・ホイ・クァンさん。お二人とも昨年、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』での演技が評価され、受賞されました。
 いざ今日の授賞式、今年の受賞者にトロフィーを授与するわけですが、受賞者はそっけなく受け取っているように見受けられました。

 受け取る側に差別の意識があったのかはわかりませんし、ミシェルさんやキーさんがどう感じているかもわかりません。
 ですが外から見ている我々が、お二人を遠ざけているように見えてしまう状況になってしまったことは、残念で仕方ありません。

 アカデミー賞もここ数年、多様化が一気に進み、『パラサイト』の作品賞や昨年の『エブエブ』の大躍進、一昨年のトロイ・コッツァーさんの助演男優賞受賞など、喜ばしいこともたくさんありました。
 ですが、今年の授賞式を見て、「全員が全員に対してリスペクトをもって接する」ことの難しさを痛感しました。もちろん、ほとんどの人が他者を尊重する姿勢であることは確かです。ですが、無意識のうちに行ってしまう行動で、誰かをもやっとさせてしまうかもしれない。どこまでも注意を払っていたとしても、人間は完璧な存在ではなく、パーフェクトに振る舞うことはできない。
 
 そのような中でも、つらい思いをする人が少なくなるためにはどうすればいいのか。
 私は、

  • 自分の無自覚さを認識する(ソクラテスの「無知の知」に近いものだと思ってください)

  • 何か気になることがあったら言葉にして発信する

  • みんなが「気になったこと」を伝え、議論しやすい空気を作る

ことが大切だと考えます。

 今回の授賞式を通して、自分自身も無意識に人を傷つけていないか、反省する機会となりました。今日から頭の中をブラッシュアップして生きていきます。



 今回の授賞式に限らずですが、アカデミー賞を見ていると、映画を表彰するってどういうことなんだろうとふと疑問に感じます。
 一人ひとり好きなジャンル、演技、演出、音楽などは異なります。多分個人個人に合ったジャンルを細分化していくと、おびただしい量の「好きな映画の条件」ができあがるでしょう。
 そのなかで、オスカーは毎年のベストを選んでいく。「今年はこの映画が一番面白かったぞ」と、世論を形成する。
 私たちはそんな創りあげられた意見に一言一句共感する必要はありません。参考にする程度でいいし、自分の好きなものばっかり見ていい。心の中のコアで、センシティブな部分を、大切に育ててあげよう。
 一般市民の、ちょっと映画好きな自分にとって、アカデミー賞はあんまり必要ないのでは、そう思った一日でした。

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