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この世に生を与えたのならば

子供は
親の承認欲求を満たすための
機械ではない。

さいきんの親は
子供に甘えていると思う。

無論、
全ての親がそうであると
言っているのではないし、

子育ての経験がない私の意見など
綺麗事だと叱責されるかもしれない。

ただ、
忙しさにかまけて
子供とのコミュニケーションを蔑ろにしたり

はたまた
せっかく子供が時間をとって
久しぶりに親元を訪れてみても
終始自分の話ばかりで
子供の話を聞こうとすらしない。

その結果
子供はいつしか
親の顔色を伺うことが当たり前になり
存在価値になり

その結果
子供が人生の節目において
本来一番の相談役になるべき親に
肝心の相談ができない
悩みすら打ち明けられない
打ち明けることが怖いという
深刻な事案が発生している

全て日頃からの
コミュニケーション不足によるものであろう

子供という不成熟な存在が
無意識のうちに親を忖度し

物心がついた頃になると

自分の話をすることを
自発的にコミュニケーションを取ることを
抑えるようになってしまうこと

心の痛みを
親から隠すようになってしまうことは

ある意味
仕方のないことなのかもしれない

しかし
であるならば

子供と比較し
当たり前だが
人生経験の豊富な親の債務というものは

自分に対し
忖度をしてしまっている
我が子にまずは気付き

そして
そのままにせず
きちんと我が子の話を聞くこと

いくら忙しくても
仕事が大変でも
コミュニケーションを取ることが億劫でも

自分の子供として産んだのであれば

この世に生を与えた責任として
子供から逃げずに
1人の人間として
真っ直ぐに向き合うこと

たとえ5分でもいい
意思疎通を図ろうと努力すること

かっこ悪くても
目に見える形で
少なくとも
本人に伝わる形で
全力で愛してあげることではないのだろうか

子供は
親の存在価値の証明としてのみ
生まれ落ちてくるものでもなければ

親の承認欲求を満たすための
機械でもない

1人の人間なのだ

そのことを
分かってはいるのだろうが

見て見ぬ振り
素知らぬ振りをする親が

最近どうも
増えているように感じてしまって。

#エッセイ #コラム #ライフスタイル #日記 #日常 #子育て

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