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「今ある幸せ」についてあらためて考える3月11日

Day29 自分にとっての幸せはどんな状態か

「書く習慣」1か月チャレンジ

「幸せってなんだろう」
ここ数日、このお題について
ぼんやりと、ずっと考えていた。

そんななか迎えた3月11日。
東日本大震災から13年。

当たり前の「日常の幸せ」や
ありがたみをもう一度思い出す1日だった。

わたしは東北生まれ東北育ち。
東北の地で被災した。

当時のわたしは高校2年生。春季課外で英文法の授業を受けていた。ものすごい揺れ。長かった。机の下にもぐったけど、中のものやロッカーの中のものがたくさん飛び出してきた。壁に亀裂が入った。泣いている友達もいた。「これ、もしかして死ぬのかも」って本気で思った。校庭に避難したら、雪が降ってきて、「泣きっ面に蜂」の状況だった。

もう記憶は断片的だし、そこからのことは割愛するけれど、幸い被害が少なかったとはいえ、みんな混乱の渦中にいた。自分はまだ子どもだったからわからなかったけど、13年を経て思い知らされる。当時、いかに大変だったか…。

大学時代も被災地に関する活動をするなかで、さらに大変な状況を経験してきた地域の人たちとたくさん出会った。また、社会人になって最初の勤務校は海沿いの学校で、海の近くのアパートに住んでいた。大きめの余震を経験した時は、津波警報のサイレンが本当に恐ろしかったことを覚えている。

ほんの少しだけ、
わたしの3月11日を記しておく。

今思い出しただけでも、
胸がきゅーっと締め付けられる。

3月11日を迎えるまで、正直、忘れていた。

「今ある幸せ」

家族や友達、毎日顔を合わせる職場の人たち、子ども達、自分の大切な人達が「当たり前の日常」を送れていること。

美味しいね、楽しいねって笑い合えること。
「安心」して日々を生活できること。

わたしにとっての「幸せ」
理想論ではあるけれど、わたしは、同じ空間にいる人がみんな穏やかな気持ちで、笑顔で、楽しそうにしていることが幸せなのだ。

その土台にあるのは、「当たり前の日常」

当たり前に、着る物があり、食べる物があり、あたたかい家があり、仕事があって。離れていても繋がっている家族や友達がいて。やりたいことがやれる環境。

そんな「当たり前」は、実はとても脆く、
当たり前じゃないということ。
自分がどんなに恵まれた環境にいるのか、
今一度思い出さなくてはいけない。

3月11日は、人それぞれ違う。

14時46分。職員室で黙祷をし、
その流れで当時の話になった。

私は高校の授業中。同僚のお母さん先生は育休中で息子さんの授乳中。またある先生は、下校指導中。会議中…など、本当に様々。ちなみに、今の小学生たちは、震災後に産まれた子たちだから、あの揺れを知らない。

もちろん他にも、大切な家族や友達を亡くした人もいるだろうし、悔やんでも悔やみ切れない後悔がある人もいるかもしれない。

もし、当時すでに小学校教員をしていたら…考えただけで恐ろしい。自分は迅速に命を守る行動をとれるのか、子ども達を守れるのか…翌週に控えた卒業式はどうなるのか…etc.

みんなそれぞれの3.11に思いを馳せ、噛みしめながら、また日常の生活に戻っていく。

そして、今もなお、能登半島沖地震で避難を余儀なくされている人、当たり前の日常が戻っていない人が大勢いるということも忘れてはいけない。

13年たっても忘れられない記憶。
忘れてはいけない記憶がある。

その記憶を胸に、
今の自分ができることをやっていこう、
当たり前の日常に感謝しよう、と思った。


最近幸せだな~と思ったこと

・おいしいね~幸せだね~と言い合いながら妹とピザを食べたこと
・祖父母の家で84歳の祖父の誕生日をお祝いしたこと
・親友と再会して、大笑いしたこと
・クラスの子ども達とのたわいないお喋り
・星空が綺麗だったこと
・早起きして、淹れた珈琲が美味しかったこと
・1・2か月先の楽しみな予定があること

こんな日常の些細な幸せをちゃんと
感じられる自分でいたい。

そして、これは母の影響なのだけど、

幸せだと思ったら、「あ〜幸せだね〜」と恥ずかしがらずに口に出し、周りの人と幸せを共有できる自分でいたい。
(強要はしたくないけれど笑)

幸せについて考えているタイミングで、3月11日という日を迎え、自然と話題が大きくなってしまいました。上手くまとまらずもどかしいですが、今の気持ちとして、そのまま更新します。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

おしまい。

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