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私が自分にかけた、頑張る母になりたくないという呪い

4月に子どもを産みました。その出産記録もまだ下書きに入れたままなのに、先に私の何重にもこじらせた「母」という概念についての記録を書いておきます。

この国では、母親がとにかく育児をするのが当たり前で、ワンオペとか産後うつとか、育児あるあるとか、あふれる情報はすべて「お母さんが頑張ってる」ということ。それが私にはすさまじくこわくて、そんな「お母さん」になることを激しくおそれていました。幸い、私のパートナーはとてもできた人で、家事も私と同じかそれ以上にこなすし、彼には外国人の友人も多く、父となった彼らは育児に奮闘しながらも楽しんでいる姿をたくさん見せてくれていました。だから私は、知らない間に心に強く誓っていたのです。

「絶対に育児の主担当にならないぞ」と。

出産後、諸事情により入院が長引いたものの、退院してからは文字通り夫が夜を徹して子のお世話をしてくれました。おむつを変えるのも、夜中に起きてミルクをあげるのも、寝ない子を何時間も抱っこして寝かしつけるのも、おそるおそる沐浴させるのも、全部夫がやってくれました。私はというと、意識的に育児ではない家事をやるようにしてました。朝起きて自分の朝食をつくり、ゆっくり食べ、洗濯をして、買い物に行く。今考えたらそんなことすらせずに寝てろよって感じなんですが、夜寝られる分元気な気がして動いてしまってたんですよね。まぁ私は産前の目論見通り「育児の副担当」になれました。

ところがどっこい。私は見事に産後うつになりました。

赤ちゃんがこわい。近寄りたくない。泣いて泣いて泣き止まないかもしれないと想像し、夜を徹してお世話をすることになるかもしれないと想像し、いつまでこれが続くのか、何年も続くのではないか、私の自由な人生はもう終わっちゃったんじゃないかと、とにかく自分の果てしない想像力にめちゃくちゃ苦しまされました。しかも実際は夫が「主担当」で、私は「副担当」。世間のお母さんよりもよっぽど楽をしているのに。どうしてこんなに苦しいのか。夫に育児をさせてる罪悪感、自分が頑張れない情けなさ、子どもをかわいいと思えないことが異常に思えて、とにかく思考のすべてがネガティブになっていきました。

すぐに精神科にかかって、薬をもらってなんとか落ち着くことができました。義実家で過ごして休ませてもらったり、一緒にいるのがつらくて仕方ないときは、乳児院にも預けました。まだ生まれて間もない赤ちゃんを人に預けるなんて、最低な親だなって思いました。けど、それが自分なのだと受け入れるしかありませんでした。私はダメな自分を受け入れました。「母親神話」なんて信じないとあんなに否定していたのに、この社会が女性に植え付けている呪いの強さにおののきました。そうやってだんだん良くなって、けどまた少しするとメンタルがやられるのを何度か繰り返しました。

そんなある日、夫が出張で一週間家をあけることになりました。ワンオペは絶対に無理です。なので義実家に身を寄せて、義母と二人で頑張ることにしました。とはいえ義母も高齢なので、とうとうずっと避けていた「育児の主担当」を一時的とはいえ、担うことになりました。緊張します。精神科でもらったお薬を飲みながら、なんとか乗り切りました。というか、なぜだか結構大丈夫でした。義母の活躍によるところもありますが、「主担当」として私は頑張ってるし、少しくらい休んでもバチは当たらないよね。自分のペースでやれるだけやればいい。誰に申し訳ない気持ちになることもない。なんと育児をしていて、その時初めて心が軽くなりました。

「サブだったときよりもメインになった方が心が軽くなるなんて変なの」とはじめは思っていましたが、私は気がついたのです。私はずっと自分が育児の主担当になりたくないと強く思いながら、実際はずっと主担当だったことに。確かに、実務面は夫がかなりの部分をやっていました。ですが情報収集をしたり、その上で判断し、道筋をつけ、方向性を指示するようなことはずっと私がやっていました。それってまぎれもない「主担当」の仕事ですよね??(会社でいうと経営者のようなポジション)

つまり私は、自分に対して何重にも歪んだ認知をしていたのです。

育児の副担当になりたいと願い、そのポジションを獲得した(1つ目の歪み、実際は主担当だった)。なのにずっと苦しい、「私は副担当なのにつらいなんておかしい。副担当すら背負いきれない自分が不甲斐ない。でもそれも私だから仕方ない」(2つ目の歪み。母性神話にとらわれていて、そこから開放されたのだと勘違いしていた)。そして主担当になったことで楽になる(3つ目の歪み。ずっと主担当だったのにそれにまだ気がついていない)。最後にようやく、私ははじめから主担当だったことに気がつき、自分が主担当であることを受け入れる。

シンプルにはじめからちゃんとお母さんをしていたのに、世間がふりまく母たるものの実態のあまりの悲惨さにおそれをなして、自分を何重にも否定していたのでした。我ながら、なんてめんどくさいやつなんだろうと思いました。ここまでくるのに5ヶ月を要しました。周囲の理解や手助けがあったから、回復する時間も、考える時間もあったけれど、そうじゃなかったらどうなっていたでしょう。

もしかして、どこかにいるかもしれない、こじれまくってる人に届いたらいいなと思って記録しておきます。そんな人いないなら、それが一番いいけど。もしまわりに、周囲に恵まれているのにつらそうな人がいたら、どうかこんな人もいると伝えてあげてください。恵まれてるから、つらくなることもあるんだと。



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