本を読むなら、こんな風に(music for fuzkue/nensow)

“ソレ”は、鼓動から始まる。


本当のところはわからないけど、たぶんそうだと思う。


本を開くとき、


本を聞くとき、


そのとき、何かが生まれるのは、たしかだから。


 “ソレ”は、『music for fuzkue』。


『本を読む音』。






本を読むときは、沈黙の中で。


そんな人も、いるかもしれないけど。


ぼくは、できれば音の中にいたい。


音の中にいる方が、安心できるから。


でも、歌のように、主張が強すぎるのはいけない。


なぜなら、本を読むのは、本を読みたいからであって、音を楽しみたいわけじゃないから。


限りなく音に近い音楽。


本を読むための音楽……。


『music for fuzkue』


『本の読める音』とも言うらしい。


『本の読める店』から生まれた音楽。


ああ、なるほど。


だから、こんなにしっくりくるんだ。


こんなに、間違いなく、本の中へ……。


本の中の世界。


本の外の世界。


離れた場所に在ったものが、一つになり。


その境目を、『music for fuzkue』は血のように流れている。


二つの世界を癒合し、現実から本の中へ、ぼくを導いてくれる。


「許してくれる音」だと思った。


「本を開いている内は、そこにいていい」んだと。


「それまでは、このあなたのことを守るから」と。


何にも脅かされることのない、本との蜜月。


本と音。


“本音”?


“本音”を打ち明けるために、本と音はある?


その“本音”の、所有者は誰?


本を書いた人?


音を書いた人?


それとも、


“本音”は、本と音の間に隠されている。


だから、見つけられるのはただ一人。


本と音の間にいる人だよ。


それは、もしかしたらぼくかもしれない。


もしくは、あなたかもしれない。


ぼくもあなたも、見つけられるかもしれない。


「“本音”を見つけるには、何が必要なの?」


だから、本と音だよ。


本は、あなたが読みたい本で。


音は、『music for fuzkue』で――。


61分30秒。


本を読むには、充分な時間だ。


本と音とあなたの蜜月。


その中で、時々、“本音”を見つけ出して。


そう、“本音”が言っているから。


それがきっと、本を読むということだよ。


本を読むなら、こんな風に。


1月13日。


アンナ・カヴァン『氷』に、『music for fuzkue』を添えて。

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#自宅フヅクエ

music for fuzkue/nensow(2020年)(Spotifyより)

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