カトルとタタン_3_

タシルとタタン(あるいは、ずいぶん昔の話)

さらさらゆれる、小麦畑。
ずっと、ずーっと遠くの方まで、つづいてる。
小麦の方が、ちょっとだけ、ぼくより大きい。
だから、ぼくがそのなかを進んでいくと、
小麦の穂が、さらさら、さらさら、顔にあたる。

「タシル、タシル」
「ああ、タタンか」

まっ赤に日焼けしたタシルが、
小麦の海から、ひょっこり顔を出した。
タシルは、ぼくよりずっと大きいから、
すぐに、ぼくを見つけてくれた。

いつものように、ちっちゃな紙袋を渡した。
「はい、今日のおやつ。
 いちじくのクッキーだよ」
「ありがとさん……おお、こりゃうめえな。
 ほら、タタンもひとつ」
「ううん、だめだよ。
 これは、タシルのだもの」
「いいんだよ、手間賃だ。
 あいつには、黙っとけ」
「……おいしい!」
「な」

タシルは手まねきをして、
ぼくを、切りかぶに座らせてくれた。
ぼくよりも、タシルよりも、うんと年をとった切りかぶ。
ここは、いつもタシルがひと休みする場所。
タシルは、
ぼくのとなりに、どしんと腰を下ろした。

「お前ら、元気にやってるか?」
「うん。だって、カトルがいるもの」
「そりゃ、あいつはしっかり者さ。
 でもな、お前らはまだ子どもなんだ
 俺はこう見えて、心配してるのさ」
「でもタシル、
 カトルとあんまり年変わらないじゃない」
「いいんだよ。俺はもう大人なんだから」
「そういうものなの?」
「そういうもんなんだよ」

ふうん。
ぼくは、手のひらについたクッキーのかすを、ぺろぺろなめた。
ギョウギが悪いぞ、とタシルがぼくをこづく。
ギョウギ……。
「ギョウギがよくなったら、大人になれる?」
「なんだお前。大人になりたいのか?」
「うん。ぼくもはやく、タシルみたいに大きくなりたい」
「ははっ、そんなの厭でもなるさ。
 そんなことより、今は子どもでいることを楽しんどけ。
 生きものっていうのは、
 大人にはなれても、子どもには戻れねえからな」

タシルは、
それにな、って、
ちょっとだけ、ことばを濁した。
「俺みたいな大人になったら、あいつに叱られるぞ」
タシルのまっ赤な顔が、もっと赤くなった。
ぼくは、その理由を知ってる。

「タシルは、カトルが好きなんだよね」

タシルは、ぽかんと口を開けた。
ぼくがじっと見ていると、
その口を、手であわててふさいだ。

「ば、ばかやろう、なにいってんだ」
「だってタシル、
 カトルだけ、『あいつ』って呼んでる。
 ぼくと……他の人は、名前で呼んでるのに」

タシルは頭をかかえて、うんうんうなってる。
「やっぱり、そうなの?」
「……いや、だめだ。子どものお前には教えん」
「カトルは?
 カトルにも、教えないの?
「……ああ、そうだ。
 お前も、あいつも、まだ子どもだ。
 子どもには、教えられない」

「……ねえ、タシル」
「なんだ」
「カトル、タシルのこと好きだよ」
「……あいつ、そんなこといってたのか?」

タシルが、目を大きく見開いた。

「ちがうけど……でも、」
「じゃあ、わからんよ。
 わからんままの方が、きっといい」

タシルは、
最後のひとつをほおばると、
げふんげふんと、せきばらいをした。

「さてと。今日もありがとな。
 あいつにも、そういっといてくれ」
「うん……」
「……タタン」
「うん?」
「お前、早く大人になりたいんだよな」
「うん」
「大人になって、どうするんだ?」

タシルがじっと見つめてる。
見つめてるのは、ぼくじゃない。
それはきっと、
もっともっと、先にあるものだ。

「カトルを守りたいんだ」

ぼくはいった。

「ぼく、まだ小さいから……。
 カトルに守られてばかりなの。
 だから……ううん、でもね。
 もしタシルが、」

タシルは、
ぼくのことばを遮るように、
ぼくの頭に、手をぽんとのせた。

「そうだ」
タシルは、いった。

「あいつは、
 お前が守ってやれ、タタン」

――……。

タシル。

「   」

それは、
ことばには、ならない。

その名前を呼ぶことは、
この庭では許されない。

タシル。

タシル、ごめんね。
ぼく、まだ大人になってないんだ。
ずっとずっと子どものままなんだ。

でもね。
あの約束は、わすれてないよ。
カトルは、
ぼくがちゃんと守ってるよ。
だけど。
カトルはいつだって悲しそうで、
けれど、いつだって笑っていて。

タシルが、いてくれたら。
タシルが、この庭に――。
……ううん。
こんなこと考えてたら、だめなんだ。
この庭にいていいのは、ぼくらだけ。
他の人はだめだって、
父さんはいっていた。

タシル。

この前、
カトルが、眠りすぎちゃったんだ。
ちゃんと起きてくれたんだけどね。

でも、
あれからはね、
カトルは、また早起きさんになったよ。

ぼくより先にカトルが起きて、
ぼくはキッチンまで下りていって、
ふたりでいっしょに、いただきます。

いつもの朝。
いつもと、変わらない朝。
それは、
これからも、きっと――。

だけど。

タシル、あのね。
ぼく、ひとつ決めたことがあるんだ。
カトルには、いってないんだけどね。
でも、
ずっとずっと、考えてたことなんだ。

もうすぐ、
ぼくの、たんじょうび。

ぼくが、生まれた日。
ぼくが、生まれ変わる日。

だから、タシル。
どうか、天国で見守ってて。

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