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それは中国に住む彼女とのメールだった#はじめてのインターネット

高校を卒業すれば多くの子は、大学に進むものだと思っていた。それがわたしの普通だった。そして、そこにはカッコ書きで<国内の>とつけられていた。

わたしの世界は、小さかった。小さいということに気付いてもいなかった。

一浪ののち、東京の大学に進学したわたしは、中国の大学に進んだ友達とEメールをすることで、連絡を復活させるようになった。

わたしはまだパソコンを持っていなかったので、どうしていたかというと、大学のパソコンルームに行き、カードを作り、あまたある真四角の重量感のあるデスクトップのなかで、空いているパソコンを一台借りて、それの前に座り、あてがわれたIDとパスワードをいれて、検索したりメールしていたりしたのだった。それがわたしのはじめてのインターネットだった。

パソコンへの配慮から、カーテンで覆われたその部屋は、薄暗くて、少し寒くて、まるで秘密基地みたいだった。ウィーンとゆっくりのっそり立ち上がるパソコンの前で、真黒い画面に自分の顔が映っているのを見ながら、「今日はあの子からメールは来ているかしら」と思っていた。

なぜ中国の大学に進んだのか、同じ受験勉強をするなかで、一体いつ中国語の勉強をしていたのか、中国の暮らしってどんな風なのか、彼氏はできたのか。聞きたいことは山ほどあった。一気に聞くと興ざめだと思って、私たちは互いの暮らしを、Eメールの往復書簡のなかで、少しずつ知らせ合った。彼女は彼女で、わたしに聞きたいことがそれなりにあったようだった。

こんなに遠くにいるのに。

こんなに遠くにいるのに、脳内を見せ合うことが、無料でできるなんて、なんてすごいんだろう。

インターネットってどうなっているんだろうか。

いつも疑問だった。

パソコンの授業というものがあって、そこでどこかのメーカーからパソコンの使い方について教えに来ていた先生は「クラウドがね。エクセルがね」とさまざま説明してくれたが、わたしはそんなことは右から左で、その授業を受けさえすれば、IDとパスワードがもらえて、それによって、パソコンルームに入室可能になることがたいへん魅力的だったのだ。

本当なら、手紙を書き、住所を書き、重さをはかり、切手を貼り、相手国の郵便事情を憂慮し、いつ届くかな、そろそろかな、なんで届かないのかな。返事が来ないのは、手紙が着かなかったからかな。などとさまざま想像し、心配し、郵便という労力を払わねばならなかったことが、インターネットというツールを使えばひとっとびにできるということが、魔法のようだった。

わたしは中国に住む友人と言葉をかわすことができる。量も気にせずに。時間も気にせずに。お金も気にせずに。

すばらしい革命だった。

インターネットがその後、今のように世界にはびこり、人を簡単につなげ、人の行動を見せびらかすものになるとは予想しなかった。今はあの頃よりも、もっと簡単に、もっとシンプルに、音声、動画などさまざまな方法でつながることができるのに、どうしてだろう。あのときほどの高揚感は、残念ながら、ない。

あのときの高揚を、ワクワクを、まるで昨日のことのように思い出せる。メールが届いていたとき、パソコンルームを出る足取りは軽かった。心がほくほくしていたからだ。こんなに、まるで全然違う場所にいるのに、私たちはつながっているということが、そしてつながっているということを誰も知ることはないということが、わたしをドキドキさせていたのだ。

彼女からメールが来ていなかったときは、しゅんとしたまま帰った。

あの日々が本当に懐かしい。懐かしくて涙が出る。

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