見出し画像

「夏目漱石の妻」を見た娘

このドラマを最初から見ていたわけではない。そして、あっていることにアンテナさえ立てていなかった。金曜日にたまたま、ネットニュースをザッピングしていたらこのドラマの記事に行き着き、読んだら興味を持って、最終回らしいけど見てみようか、なんなら第三回は金曜日深夜0時から再放送するそうだから、よかったらそれを見てみようか、そんな気持ちだった。ただ、金曜日夜は子供と一緒に寝落ちして(これがまた気持ちいいんだ)見られなかったので、最終回を土曜日にいきなり見ることになった。

歴史上の偉人を扱ったドラマであるからして、最終回は当人が死ぬのだろうと思えるのは、おそらく大人だからだろう。

娘は、このドラマを見たあと(最後まで見られなかったし、最後までわたしに見てほしくなかったようだった)嗚咽して、眠れなくなった。シーンとして暴力的だったとか破壊的だったとかは(まったくゼロとはいいませんが)ほぼなかったが、やはり、夫婦の不穏な空気とか、言い合いとか、病に伏して人が死にそうになるところとか、そういったことが強烈だったのだろうと思う。5歳の子と一緒に見るドラマとしてふさわしいかどうかを考えてから、テレビの前に座らなければいけないのだなと教訓になった。

寝床に入った娘は、「タオルを持ってきて」と言った。なんでと顔を向けると、頬の涙を指したので、泣いているのかと、そこで気付いた。「あんなテベリ(娘はテレビをテベリという)見なければよかった。気持ちが悪い。ママに途中でやめてって言えなかった。言えばよかった。ママが先に忘れてほしい。そうしたら私も忘れられるから」そう言ったので、わたしが忘れる魔法のような言葉を言って、そのあと少しずつ落ち着きを取り戻した。やがて寝た。

我が家はテレビ狂ではない。帰宅したらテレビのスイッチをまずつけるという習慣はない。何かテレビがついていると気持ちが凪ぐ、ということもない。だから、見たいと思うものは、本当に見たいものとなる。夏目漱石の妻、わたしは楽しみにしていたのだけどなぁ。子どもには無理があった。

子どもに無理があるかどうかは、わかりやすい一般的なラインではなくて、その子その子の感受性をはかりながら考えていく必要があるのだろうと思う。うちの子は感受性が強いほうだと思うから、わたしは気を配りながら、映画やドラマやそのほか芸術を、まずは自分のフィルターを通して、次に子どもひとりひとりにあてはめて、そして触れるかどうかを考えなければならないという反省を今回得た。なかなか骨の折れる作業ですなぁ。

ところで『カールじいさんの空飛ぶ家』をDVDで観たが、まったく面白くなくて驚いた。トレーラーを見る限りとても面白そうにみえたのに。同じ制作会社が、あそこからアナ雪まで、力をいれてレベルアップしたかと思うと本当にうらやましい。本当に面白いものは、子供も大人も夢中にさせる。カールは私だけでなく子どものハートもつかんでいなかった。(※飽くまでも、我が家の場合)

洗濯物畳み地獄に戻ります。
おやすみなさいー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?