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久しぶりに、自分の『仕事』を振り返る

※今日は、更新時間を遅らせてお送りします

ええと、なぜかと言うと、、

実は、この土日の二日間は、仕事で、“クリエイターの合宿係”をしていました。勝どきのホテルにて、2日間缶詰めでした。(なので、数ヶ月ぶりに『日記』なしで)


「本当に?」って、よく聞かれるんですが、コレ、ぼくの“本業”なんですよね。(一番、人生の時間を使っているという点で)

「クリエイター」と一言で言っても、彼らは、「25歳以下の学生たち」。

そのジャンルは、“多岐”にわたるんです。

定義しきれないくらい、本当に多岐に。

どのくらい多岐にわたるかって言うと、、、


エンジニア、アーティスト、ダンサー、ミュージシャン、ファッション、伝統工芸、、、


年々採用を重ねるたび、応募者の“ジャンル”という“人種”は増えていきます。

それはそうですよね、返す必要のない奨学金が「120万円/年」でもらえるんですから。

彼らに、月10万円(年間120万円)の「給付型奨学金」を渡し、財団法人として、創作活動の後方サポートをするのが、ぼくの今の仕事。


本当に、こんな仕事があるんですよ。


ちょっと、ぼく自身の『仕事』の話をさせてください。


2012年、初夏より

前職は、楽天株式会社(あの三木谷さんの、です。)のCSR部で丸4年(2012年5月〜2016年6月)ほど働いていました。

この時期、ぼくは、文字通り“働いて”ました。

自分のことを、“ハタラクテンマン”とか呼んでた時期でした。若かったなぁって思います。

でも、働くことで「何か」を掴もうとしていました。

(時間的にも、気持ち的にも、働くことで。)

その頃は、東北(主に福島県)の、復興支援を『仕事』としてしたかった。

だから、とにかくそれに近しい話題については、食らいつくようにしていたんです。そうしたら、楽天で、それをするチャンスをいただくことができたんです。

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おもしろい人生、恵まれた人生だと思います。


そして、


復興支援が少しずつ落ち着いてきたある頃、ぼくは転職をしました。


とあるエージェントさんから、ご紹介を受けたのをきっかけに、事業会社の社長の個人財団立ち上げのため、現在の会社に入社。


それが、クリエイターを支援する奨学金の仕事(現職)だったのでした。

現在丸3年、今年で4年目。


自分の『仕事』を人に説明する時は、これらのことを時系列で、かつ文脈的に相手が理解できる形で説明を試みるのです。


なので、


いつも、結構たいへんな思いをします。


「えー!そんな仕事あるんだ!」とか、


「いつも、おもしろいことやってるよねぇ」とか、


反応は、人それぞれ。


『想い』の部分を話をすると、一定程度の理解は示されるものの、根本的なところでは、腑に落ちない。


無理ないです。


「なんじゃそりゃ?」な、部類の人生だと自分でも思ってます笑


でも、そんな感じが、ぼくの『仕事』なんです。


世の中的に「クリエイターの存在感」が叫ばれる現代、若き才能とどんどんやりとりをして、真新しくも、複雑怪奇な世界観に、ぼくは日々ぶつかっています。


自分の仕事を振り返ってみると、あくまで後方支援であって、
ぼくが何かを創り出しているわけではありません。

ただ今後、何年か経ったあと、とんでもなくインパクトのある作品や、パフォーマンス、その他想像を超えた様々な成果物が、彼らの名前で世に知られた時が必ずきます。

そんな時に、人知れず相当な感慨を覚えると思っています。たぶん。

それは、確かな未来ではある。

いつなのかはわかりませんが。

(プレッシャーとして言うわけではなく笑)


1期生、2期生、そして今、3期生の運営をしていると、
そうした、“X年後の感慨”をいつも感じながら日々、業務を送っています。


仕事をしながら、そうした“感慨”に襲われるんです。


強烈に。


『社会貢献』を軸にした仕事って

毎日の「やること」が、売上げや利益に繋がっていない。

だからこそ、自分の『仕事』が、一体どこに、どうつながっているのかを、自分の中で相当アップデートしていかないと、先が見えな過ぎて、辛くなると思っています。

しかも、自発的にアップデートする必要がある。誰も回答を知らないから。


なので、たまに、辛くなることあります。

あります笑


実際のところ、何か目の前の課題を解決したからと言って、すぐに何かが改善されることもないんですよね。

『仕事』全てが、学生たちとのコミュニケーションの延長上にありますし。


奨学金の給付財団としては、学校や会社など、社会的規則や、契約関係にあるわけではないから、拘束力も全くない。

自分が関わる『仕事』ひとつひとつが、学生の『良心』に任せる部分がすごくある。

こうした団体の運営って、思っている以上にたいへんです。想定ゾーンをかなり広めに取る必要がある。

許容ゾーンというか。

時間を守る、
メールの返事をする、
決まった場所に行く、
課題を提出する、

何かを「指示する」「依頼する」ことに、
そもそもあまり、応えられないのです。


もちろん、みんなじゃないです。

だけど、大部分が、そうなんです。


自分の制作や活動、その他の生活のいろいろに一生懸命な人たち。

とても不器用で、繊細な人たち。

クリエイターは、頭と心がいっぱいなのも、すごくよくわかってます。

だからこそ、ぼくは「期待すること」をやめました。

これは、絶望ではないと思っています。

むしろ希望なのではないかと。

『期待する』をやめる

このことを、図らずもこの仕事で学びました。


基本的に、ちゃんとしている社会人とだけ仕事をしていたら、もしかしたら、一生気づくことが、できなかったかも知れません。

皮肉でもなんでもなく、学校の先生ってすごいなぁって、いつも感心しています。

素晴らしい人たちと、毎年出会うと思うんです。悔しいくらいに光り輝く才能と、たくさんの時間という可能性を持った人たち。


ただ、そんな人たちに対しても、

“才能に期待はしても、人には期待をしない。”

これが、きっとベースにあると思うんです。

じゃないと、期待のカウンターで打ちひしがれますから笑

だからぼくは、基本的に期待をせず、自分ができるだけのサポートをして、彼らをずっと見守り、長く『応援』していきたいと思っているんです。

奨学金の給付という『支援』が終わったあとも、人としてフラットに付き合っていきたいと思っています。

そんなことを思いながらの合宿終わり。

こんな記事を読みました。

「支援」から「応援」に切り替えること

ぼくにとっては、結構グッとくる内容だったので、二回読んで、そして涙が出ました。

もし、自分が心から応援したいと思えるような人がいたら読んでみるといいかもしれません。

きっと、いい気持ちになれそうな気がします。


子どもにいつまでもお金を与えつづけたら、
自分の足で歩かなくなっていきます。

親だって「支援」から「応援」に切り替えることを
いつかはやんなきゃなんないです。
支援は一時だけど、
応援は死ぬまでできる

死んでからもできる。
俺たちは絶対に、何をしても、1秒前には戻れない。
どんどん時間は流れていって、
やったことは取り戻せません。

命は時間。

時間の無駄遣いは命の無駄遣いです。
「時間つぶし」も「命つぶし」と言い換えたらいいよ。

それでは、今日はこのへんで。

急に気持ちが入ったり、突き放して考えたりたいへんな内容でしたが、なんとか着地してよかった笑


ぼくも誰かの応援をしようと思います!