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週のはじまりは、しいたけ占い。

って、これ定番化してきてて、おもしろい。

でも、それくらい大切な習慣になってきた。

『知ったこっちゃない。』は、たしかにあって、これまでは、全部拾い切って、フォローしてナンボって思ってたけど、自分が思ってるよりも、一般的な期待値ってずっと低くて、『そんなとこまで気にしてんだなぁ』ってつくづく思うこと山の如し。なので、やめます。

さらに、、『無責任さ』を取り戻す時とのこと。

『勝手におやりになって!』というのは、結構自分にとって天変地異に近いので、多少の違和感はあるものの、試してみると、割と無理なくそうやれると思った。今までの心労なんだったんだ、返せー!笑

カラーは、、森の色と、黒。

落ち着いて、自分の中や、周囲の幸せなものに感謝し、それを受け取ろう。

少しだけ小言を言わせてください。

いきなりですが、ぼくは『仕事ができる/できない』という評価、発言、表現…その類いのことばが大嫌いです。自分は良くも悪しくも、そういう評価を欲しくはないし、人をそういう風に言いたくもありません。

黙って、組織や、人を見ていると、そういう評価や発言が、わりと多くて辟易とします。

だとすると、何がそんなに嫌なのかなぁと、考えてみたんです。夕食の洗い物をしながら。

手を動かしながら、考え事をする時間て、結構いいフレーズが浮かんだりする貴重な時間。

他人の内面に対して関心がない人。

『仕事の出来/不出来』を、他人の評価軸として、口をついて出てきてしまう人種がいるということがわかったんです。

そういう人たちって、押し並べて他人を褒める語彙が少なくて、あまり人を褒めたりしません。褒めるとしても、外見であったり、経歴であったり、成績だったりします。

ことばの使い方一つで、そういう部分が、透けて見えてしまうんですよね。あー、怖。

また、こういう側面もあります。

『仕事』という定義が、まずもって『おかしい』なということ。

彼らの言う『仕事ができる/できない。』は、『言ったことをできるだけ忠実に、早く、やる。』ということでしかなかったりする。

『脳みそ通さず、反射でやる。』とも言えるかもしれません。

ぼくはそういう態度の人とは、根本的に合いません。単純な処理速度や能力が低いんですよね。自分のことなので言いますけど、周りと比べてコンピュータが弱いし、集中できる時間もものすごく少ないし、気が散る。

それに、言われたことを、『自分ごと』に馴染ませて取り組むスタイルでずっとやってきているので、彼らの言うところの、『仕事ができない』奴なのだろうなぁと思います。

ただ、いつの頃からか、『仕事』の指す意味が、上記のような意味の薄い、軽い、反射神経みたいなものを言っていると確信が、持てたときに吹っ切れたんです。

『なんだ、仕事すらしてないじゃないか。』

作業ロボットとしての『評価』や『評定』だったら、いらねーんだよと。

ずっと貫いていきたい姿勢。

仕事は、そこに『在って、処理するもの』ではなく、『課題』と『想い』を醸成した上でアウトプットされる『作品』だと思う。

それは、世の中に出て、だれか必要としている人や、必要性にまだ気づいてない人に触れると、感じる何かがある。そんな見えない何かを大事にしたい。そんな気持ちで全てのことに取り組んでいきたい。

世の中、『正しさ』なんかなくて、そのときに大多数が思っているような思い込みが力を持っている時も多い。むしろ、そんなんばっかりかもしれない。

だから、本当に大事なものはなんなのか?

自分はそれをれどう思っているのか?

できることはなんなのか?

自分がやったほうがいいのか?

頼んだほうがいいのか?

もっともらしく言っているその人は、本当に理解してるのか?

『仕事』とされているものが、本当に必要なものなのな?

仕事のための仕事に成り下がってはないか?

なかなかグッとくるnoteだった。

また、今週も、生きていこうね。


ぼくも誰かの応援をしようと思います!