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「時間」の割り振り方だけを考えている日々

日曜の夕方、散歩がてら、としまえんの「ユナイテッド・シネマ」まで20分くらい歩いて、「花束みたいな恋をした」を観ました。

結構、話題になっていたので、恋愛モノは苦手なのですが、観に行ってみました。

昨年は週に1~2回映画館に足を運んでいたのだけど、今年は今日で2度目。

前回は、プペルを家族で観たのが1月最終日。

昨年末、福島県内のいろんな場所で「リモートワーク」していたこともあって、移動時間がとにかく多くありました。

ぼくは、スマホやPCで映画やドラマを観ることができないので、物理的に映画館に行く時間がとれなくなると、「映像作品を観る」という時間がめっきりなくなるんですね。

#自分不器用なんで

移動時間の間にサクッとスマホで観たりできたらいいんですが、どうも集中が続かなくて、今はやらないことにしています。いろんなことが半端になるとストレスでしかないので。

どうせなら同じ時間と気持ちを映画館のスクリーンに対して使いたい。

そう思ってしまうんですね。

↑インスタ↑の方にも同じような趣旨のことを書いたのですが、「映画館に行く」というアクションは、日々の喧噪に楔(くさび)を打ち込む行為のように思えてなりません。

時間に、「メリハリをつける」行為。

というのも、ぼくは「映画館」と「喫茶店」に居ることに、この上ない自浄作用を感じるんです。

そこで過ごす時間に対して、「とても贅沢だなぁ」と思う。

ほどよく他人の気配を感じながら、そこに居る誰ともコミュニケーションをとらずにいられる。だから、とても気持ちが楽です。

映画がつまらなかったら寝てしまえばいいし(実際に寝たことはたぶんないけれど)、喫茶店では注文をする以上の会話は求められない。

好きな本をずっと読んでいられる。

今日は燃え殻さんの本を持って行って読んでいました。

極上の時間の使い方。まさに、「時間にお金を払っている」と言えます。

自分の24時間をどこにどう使うか、それだけはいつでも自分が握っていたい。

もちろん、やらねばならないことや、必要経費のような時間もあると思うんです。

だけどそれはあくまで、自分の人生時間の質をあげるためのものであってほしい。そこに最終的にはつながっていてほしいと願う。


映画、とてもいい時間を過ごせました。

今年もようやくそのモードに入ってきたと思うので、また映画館通いをはじめようと思っています。

自分の心身を“武装解除”できる時間、とても貴重なんですよね。

あらためてそんなことを思った週末でした。

次に観たい映画もたくさんあります。



ぼくも誰かの応援をしようと思います!