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寒い季節は好きじゃない

今朝、新聞を取りに出たら、向かいの家の旦那さんが庭の掃き掃除していた。

時間はまだ5時台。天気が良くないせいもあってか、今日はまだ日も差していない。11月の半ばの今日。外は息が白くなるくらい寒い。そんな中でこんな時間からよく掃除をしようと思うものだ。そう、素直に感心していた。

日中は仕事があるし、返ってきてからでは外が暗い。寒かろうがなんだろうがこの時間にしか掃除ができない。理屈はわかる。わかるけれど理解はしたくない。勤勉な人の発想だ。

我がごとを振り返ってみると、例えばうちには隣の家との間に木がはえている。私はその手入れをやるやると言ってちっともやっていない。大昔に1度やった記憶があるけれど、足かけ5年はやっていない。
部屋の掃除とか整頓はマメにやる方だけれど、自分の範疇外であると思ってしまうとまったく意識の外に追い出してしまうところがあるようで、庭とか木とかそういう部分に関して、私の中でもはや他人の所有物であるくらいの意識になってしまっているらしい。

だからこんな寒くて日もささない冬の朝早くから、意気揚々と庭の掃除をするなどという行為は、オラウータンとフォークダンスするくらいの驚きを私にもたらしていた。

しかしそんな姿を見ていたら、昔は私は冬が好きだったことを思いだした。

理由は単純。私の誕生日が1月で、クリスマスは12月。そう、プレセントを続けてもらうことができるからだ。なんと功利主義な子供だろう。いや子供なんてそんなもんだと思うけれど、仮に私の誕生日が12月だったら、きっと誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントを一緒にされてしまっていただろう。幸運にもその間にひと月ほどあるため、プレゼントが立て続けに2回ももらえたというわけだ。冬っていい季節だなぁと、そう単純に思っていたわけだ。

幼稚園の頃など、夏だろうが冬だろうが上裸ですごすというのがもてはやされていた時代。寒いからイヤだなぁとかそういうことはまったく頭をよぎりもしなかったわけで、子供というのは元気だし素直だし本当に素晴らしい生き物だと思う。

今でこそ春が好きだし、夏と冬と秋はだいたい嫌いだ。

ようするに寒いのも暑いのも嫌いという、これもまたわかりやすい基準にもとづいている。今更、年をとったところでおめでたいものでもない。自分の年齢だってよく忘れそうになる。いや、むしろ忘れたいと思っているのかもしれない。

しかしこういった普遍的なものに対して趣向が変わるということは、やはりひとつの成長なのかもしれない。
大人になったら苦いものが食べられるようになったというアレに近い。妻は二十歳までトマトもキュウリも食べられなかったと言っていたが、そういう人も世の中には沢山いる。今でこそ暑いのも寒いのも嫌いで、ぬるくてあたたかい春が好きだ。しかしこの至極原始的な趣向も、もしかしたらもう少し年を重ねてくると変わってくるのかもしれない。

変わらないものがあるからこそ、自分の変化に気がつくことができる。
そういう意味では、たまには年に1回くらいは寒い冬というものがあってもいいな。そんなことを考えて、寒い日々に勝手に納得感を作ってみたのであった。



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