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『スキ』って沢山言われた方が嬉しい

私個人の考え方なので、そーゆう人も居るんだ。くらいに思ってくださいね。

どういう基準でnoteに『スキ』を付けますか?

という話なのです。

しばらく前にも、この話題をしている人が居たので、意見の割れるところがあるのでしょう。

そして、タイトルから想像のつくように私は、かなり緩やかな基準で『スキ』を付けに行くタイプです。
「すっごく良かったです!」から始まって、「流石です!」とか「ふむふむなるほど」とか。「今日もお疲れ様です!」くらいの気持ちの時もある。

そこにあるのは、重くて大きい感情から軽い感情まで様々ですが、一応自分なりにルールはあります。

一つは、「読んでいないのにスキを付けない」

当たり前のようにも思えますが、たまにいらっしゃいますからね。『スキ』自体は大変嬉しいですけど、本当に読んでいたけたのでしょうか?と思う方。
自発的にタグをたどったりする場合であっても、私は中身を読まずに『スキ』つけることは絶対にしません。

そして、読ませていただいたものには、書いてくださったその労力に尊敬と感謝をこめて、『スキ』を押させていただくことが多いです。

中にはでも、どうしてもちょっとこれは『スキ』出来ない場合というのもあるんですよね。

主に「長くて最後まで読めなかった場合」と、「申し訳ないけれど、その考え方には賛同できかねる」という場合。この二つはちょっと悲しいですが、スキはせずにすごすごと帰ってきたりすることがあります。

そして、もう一つ。

あまりにも「人から見られている意識が少ないのではないか」と思えるものも、ちょっとスキが付けずらかったりします。わかりやすくいうと、あまりにも普通の「日記」だなぁと感じてしまった場合なのですが。

ただ、「日常系」というくくりがあるように、単に「日記」なのか「エッセイ」なのか、その線引きは難しいところだとは思います。

この辺は、そのうちまた頭悩ませてnoteにでも書いてみますね。

でも、こういう緩い基準で『スキ』をするということは、「中身の良し悪しの基準にはならない」ということではあるんですよね。

書いた方自身が、あまり納得できていない記事だったときに、いつもと同じように『スキ』を貰っても、「この人中身ちゃんと読んでるのかな?」と思われてしまうこともあるかも。

そのあたりが、意見の割れるところではないかと思います。

私としては、純粋にいいと思ったものは、「シェア」なり「コメント」なりをしていけばよい、と思っていて、『スキ』はその前の「あいさつ」に近いのかもしれません。

そして、根底にあるのは、

『肯定の意思表示はしないと伝わらないし、程度に関わらず機会があればした方がよい』

と思っているからですね。ちょっとしたことでも、「ありがとう」って言われれば嬉しいもの。それを乱発したとして、誰が損をするというのか。というところでしょうか。

もちろん、この辺の考え方も人に寄ってくるところでしょう。
私の、『スキ』の考え方はそんな感じですよ、というお話でした。


#エッセイ #コラム #スキ #note

「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)