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私のキャリアに関する考え方とかいろいろ

Twitterでお題をいただいたので、私がキャリア積み重ねるにあたり大切にしていることを書いてみます。

お前らに私が定義されてたまるかというマインド

多分根底にあるのはこのマインドだと思います。これを持ち始めたのは中3の頃。私は中高一貫校に通っており、高1から理系と文系に分かれるにあたって中3の時点で文理の希望を決めなければならなかったのです。

私は英語と国語の成績がぶっちぎりに良かったし数学がぶっちぎりに苦手だったので周囲は全員私が文系を選択することを期待したでしょうし、私もそのつもりでした。でも自分が何をしたいのかを考えたときに、今の自分の得意不得意は果たして関係あるのだろうか、と思いました。

そんなわけで選択期限ギリギリに、全教員を震撼させる「理系」という紙を出したあの日から、私は思っているのです。「世の中は理系とか文系とラベルをつけたがるかもしれないけど、私はそのどちらでもなく私だ」と。永遠の中2です。

その後、物理化学は2Bまで、数学は3Cまで履修するというガチ理系街道を進んだ私ですが、高3で隠れ文転しています。理由は…

「私、Eコマースなるものの勉強がしたい」

当時、まだECというのは一般的ではなく、ECについて勉強するなら経済学部か商学部という限られた選択肢しかなかったからです。私がECに興味を持った背景についてはこちらの記事にあります。

しかし高3での隠れ文転でどうにかなるほど世の中は甘くなく、結局は理系っぽい学部(環境情報学部)に進学したのです。これによって、私にとってますます文系と理系のラベルはどうでもいいものになりました。

多分これが要因で、今でもTechとBizとUXの間を行ったりきたりするような仕事をしているのだと思います。

ちなみに私のキャリア遍歴…

1社目
経営企画→PM(モバイルアプリ)

2社目
Biz側PM(モバイルアプリ)→新規事業(アプリ&EC)→Tech側PM(EC)

3社目
PM→TPM(モバイルアプリ)

4社目
たぶんPM

流れには逆らわない

大学では大規模な研究室の代表になり、代表の仕事が忙しくて就活などどうでもよくなっていました。とりあえず就職活動をしましたが、結果的に一番最初に内定をくれた会社に就職しました。もっと粘ってもよかったのですが、内定をいただいた当日に親族が亡くなったりしてバタバタしたので、まぁ研究にも戻りたいしそういう思し召しかなと、あまり深く考えずに内定を受諾しました。

普段あまり非科学的なことは考えない私ですが、この頃から、職業選択においては「ご縁」のようなふわっとした概念に従うのがちょうどよいのではないかとずっと思っています。だって結局自分がどうなるのか以上に世の中がどうなるのかなんて全く読めないんだから。流れに逆らわず、適度に流れて、でも流されないという塩梅がちょうどよいと思っています。逆らいたい縁にはしっかり逆らうこともできるのだから、どっちでもいいなと思ったら素直にご縁に従っておくのがいいのかなと。

転職をした時もそうでした。長くなるので割愛しますが、2社目の会社は、これでもかというぐらいのご縁フラグが立っていました。

アリよりキリギリス

よく転職のときの面談で「将来のキャリア展望」みたいなことを聞かれますが、そんなものは私には一切ありません。

ぼんやり「将来こういうことをしたいな」というものは存在します。でも、今の選択がそこに向かうにあたって正しいかどうかとか、そんなのはどうでもいいと思っています。どうせすぐやりたいことは変わるから。

例えばあれほどECの勉強がしたいと思って文転までしたのに、大学ではリアル店舗での購買行動の研究にのめり込んでしまったし、そうかと思えばきっちり2社目でECに戻ってきたりしています。

自分の将来のために頑張ろうと思ったことはあまりありません。ただ自分が今楽しいと思えることを精一杯楽しむだけです。やるからには最上志向でやる。楽しくなくなったらやめる。それだけです。

趣味の世界でも仕事の世界でも、とにかくたくさんのことに首を突っ込んでみます。ある程度までやってみて、違うと思ったらやめるの繰り返しです。そんなことを言っていたら、「それはマルチポテンシャライトというやつかもね」とある方に言われたのですが、そうなのかもしれないし、そんなかっこいいものではないかもしれません。

勝手に年をとるんだから、将来だって勝手にやってくるでしょう。こちらがコントロールするものだとは思っていません。それより今を楽しむほうが、よほど健康だと思います。明日死ぬかもしれないし。

勝てる戦では思いっきり自分を追い込む

難しいことをやっていても、ふと勝ち筋が見えてくる瞬間というのは仕事ではよくあると思います。

そうなった時に私は自分を徹底的に追い込みます。勝ち戦を落とすことほど惨めなことはないので、自分を追い込んで絶対に負けられない戦いに仕立てます。

仕事に限らず、今思えば大学受験のときにもそれに近しいエピソードがあったのですが(そのうち書くかも)、実は転職活動のときなどもこれに近いことをやっています。

今まで2度転職しているのですが、実は2度とも退職の意志を伝えてから転職活動を始めています。転職活動をした回数は本当はもう少し多いのですが、つまりこの2回は、もう絶対に自分がハッピーな転職ができる状態に仕上がっているという自信があった時なのです。自信がある時こそ、足元をすくわれないように退路を断つことが重要だと思っています。

あと、これに関連しますが、自分の言葉には責任を持つようにしています。思ってもいないことを言わないようにしています。

他人の目よりも自分の目を気にする

私が仕事上で唯一決めているルールは、「自分がダサいと思うことはやらない」です。

仕事をする上で、全てのことがうまくいくわけではなくて、かっこ悪い、ダサいやり方をしなければならないこともあります。私はそれでいいと思っています。周囲から見たらダサいことをするような自分も最高にかっこいいと思う。でも、自分が見てダサいと思ったら、多分それはやってはいけないことだと思います。

周囲の目は気にせずに、ひたすら自分の目だけを気にします。だから、自分がいいと思ったらそれでいいし、自分がよくないと思ったことはどれだけ一般的にかっこいいことであってもしない。ひどいエピソードばかりで詳しくは書けませんが、1社目でこの考え方はかなり形成され、この考え方に基づいてかなりの決断をしてきました。

自分が基準になるので、他人のことを気にせずにすみます。周囲が何と言おうと、私は私が正しいと思う道を突き進むのみだと思ってやってきました。これはある方に言われて気づいたのですが、この考え方により「他人に期待をしなくなる」という効果もあります。この考え方を持っていると自分に厳しい目を向けることになるので、他人がもし自分の期待どおりに動いてくれなかったときに「私は何をすればよかったのだろう」という考えに自然となり、他人に対するイライラがあまり発生しなくなります。

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すみません、大したことも書いていないのに有料にするのは心苦しいんですが、元同僚達への配慮によりここから先は有料で提供します。

これまでとは少し趣向を変えて、キャリアの転機になったと思っていることを書きます。

私のプチ挫折と、PMになるに至った背景、自分の市場価値が上がったと感じるタイミング、私が選ばなかった道についてです。

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