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魚餌の町 (変境日誌/掌編小説)

或る町についた。

都市部に隣接するベッドタウンで、明朝この町で急な取材が入ったため、今夜は前乗りすることにした。

この町には大きなショッピングモールがある。飼っている熱帯魚の餌がなくなってしまったので、このモールにあるペットショップで調達することを計画していた。先に夕食をとっていたら遅い時間になってしまい、閉店間際の店に滑り込んだ。

平日の夜で、客はまばらだった。初めて来る店だったが、欲しい餌はそう珍しいものでもない。こういった大きめのチェーン店ならどこでも売っている。動物は好きなので店内を巡りたい気持ちはあったが、店に入るなりBGMが「まもなく閉店」を示す音楽に変わった。仕方なく僕はまっすぐ熱帯魚コーナーに向かった。

壁に面して水槽がずらっと並んでいる。左側の数列に金魚がいて、あとは熱帯魚。金魚も熱帯魚も、いちばん左に大きい魚、そこから右に行くにつれて小さい魚へと陳列されている。

いちばん右の水槽の前に各種の餌が陳列されていて、僕はそこへ向かった。目当ての商品も並んでいたが、このメーカーのパッケージはどの魚用のもよく似ていて、ちゃんと確かめないと間違える。僕は棚の前に陣取って、商品を手に取ってラベルを眺めていた。

水槽の列の真ん中あたり、大きい熱帯魚のコーナーに、男が1人立っていた。僕は商品を見ながら、横目で男をちらと見た。

歳は30歳を過ぎたくらい。黒髪の長髪を後ろで結び、無精髭を生やしている。皮ジャンに皮パンを腰で履き、ベルトからジャラと大きなチェーンを下げている。手には何か雑誌を丸めて持っていた。

姿勢は決して良くないが、しかし微動だにせず、或る一つの水槽を見つめている。僕はもう少し振り返って彼の目線の先を確かめた。大ぶりのディスカスが三匹、その水槽で泳いでいた。

僕は目線を戻し、餌選びに戻った。ふと、退店を促すBGMが消えた。もうタイムリミットらしいが、買い物はさせてくれるだろう。僕は少し自分を急かしながら、餌の種類を確かめた。

すると水槽のコポコポ言う音に紛れて、つぶやくような声が聞こえてきた。
「もう少しだけ時間をください」
モゴモゴとそう言っているのは、皮ジャンの男だった。

男は少し情緒不安定そうにも見えた。うわ言のようにひとり言を呟いているのだろう。僕は男から距離を取とうと、自分をさらに急かした。

「部屋はなんとか用意しました。狭いけど、みんな入れると思います」
男はまだ呟いている。

「食べ物が、まだよくわかりません。何がいちばんいいのか」

飼い方を下調べはしたが購入を迷っている、そんな所だろうか。魚に話しかけるくらい愛情があるのだろう。

「人間はなんでも食べます。種類が多すぎて、まだいくつかしか食べられていません」

僕は既に目当ての餌を見つけていた。しかし男の話が気になっていた。

「私が先に出してもらってまだ一週間…あと一か月くらいはもらえませんか? そうしないと決められません。皆さんをお迎えするメニューが…」

一匹のディスカスがピシャンと跳ねた。同時に男の顔が明らかに曇った。

「…わかりました…なんとか間に合わせます。また報告に来ます」

男はそう言うと、水槽に向かって一礼し、手に持つ雑誌を開きながら立ち去った。首を傾げながら彼が見ているのは、霜降り肉の写真が大きく載ったグルメ雑誌だった。

男の行方を目で追っていると、背後から店員に呼びかけられ僕はビクっとした。もう閉店だという店員に、僕は手に持っていた餌を差し出した。

レジで支払いを済ませ、僕は店を後にした。インコと猫のコーナーにひとりずつ、まだ客が残っていたのが少し気になった。

さて、宿を探そう。

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