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Scene.0x : OLD & NEW

「何考えてるの」
 グラスをゆらゆら揺らしながら、中の液体を口に運ばない彼女に僕は言った。
「何でもいいじゃない」
「そういう態度は、こういう場所にはあってるね」
 こういう、少し薄暗くて、ピアノトリオのジャズが流れてるような場所には。
「そういうもの?」
「こういう場所では、質問をはぐらかしてもいいものさ」
 僕はといえばチビチビと液体を口に運んでばかりいる。
「僕だってこういう場所では、もっと堂々としていたいけどね」
「すればいいじゃない」
 カウンターに肘をついて猫背になっている僕は、エプロンをしたマスターがいる喫茶店の方が似合いだ。煙草でも吸えればもう少し格好もつくが。
「で、何を考えてたの?」
 僕はもう一度聞いた。
「詮索するのはOKなの?」
 こういう場所では、という含みで彼女は少し笑った。
「野暮だろうけどね。そんなに悠長にも構えていられない」
「ここで私を逃したら、きっともう後がないもんね」
 彼女はしっかりと把握している。僕らの距離感と、これからの歳月を。
「そうだろうね。そうだと思う」
「だからって、そんなに先を急がないでよ」
 先を急いでいたつもりはないけれど、彼女の目は僕のグラスに注がれていて、その減り具合を見たら、まあそうか、と僕も思った。
「あなたが何を考えてるかは、だいたいわかるけどね」
「君は、何を考えてるのさ」
「何も。雰囲気を味わってたのよ」
 この場所にあってるでしょ? という視線と笑顔を僕に送って、彼女は久しぶりにグラスに口をつけた。ゴクっと彼女の喉が鳴った。この音はきっと、この先何年経っても思い出すだろう。
「私たちには、少し早いんじゃない?」
 彼女は店の中を見回しながら言った。薄暗さの中にいるのは、皆僕らより、人生のカードを何枚も多く切って来た感じの人たちだった。
「でも、待ってもいられないよ」
「たった一週間じゃない」
「そうじゃないよ。そうじゃないだろ?」

 明日から彼女は海外出張に出る。一週間ニューヨークに滞在する。卒業してから半年。彼女は新しい世界の方に、軸足を移しつつある。
 僕はといえば、まだ次の世界に進めずにいる。一週間どころか、一ヶ月後も一年後も、同じ上落合のアパートにいるだろう。

 彼女の携帯が鳴った。
「ちょっとごめん」
 彼女は席を立って、外へ出た。

 僕のカードはあと何枚残っているのだろう。
 人生で、それをどれだけ切れるだろうか。

 ゲームのルールすらわかっていない僕に、それがわかるはずもなかった。

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