小市民の思考の節約

最近一部起業家や、所謂意識の高い人、という人々の界隈で選択の削減思考の節約なるものが流行っているらしい。
日々考えることに人が使えるリソースは限られており、それを余計なことに使うべきではない。
だから余計なことはできるだけ考えずにすむようにする。そこに工夫と金をかける。
例えば同じ服しか着ないとか。献立作りを外注するとか。ミニマリズム的な発想だと思う。

この考え方を、僕は「生活を馬鹿にする行為」だと思っていた。
日々と無駄やら細かいところにある楽しみを放り投げて、仕事とか、経済活動のみを重要視する人間の発送だと。
だから、そういう考え方もあるけど、僕には関係ないね。と。他人事に思っていた。

だけど最近になって仕事やら、結婚式(最近婚約したのです)やら、考えないといけないことが積もりに積もってきた結果、脳味噌がショートしているような感覚を味わう機会が増えてきた。
物事に集中できず、テンションが上がらず、脳にもやがかかる。(もしかして軽度のうつか??)
そういうときに真っ先に蔑ろになるのは、それこそ「生活」だった。

片付けをしたくなくなる。人と会話したくなくなる。健康的な食生活を送らなくなる。
日々の細かな喜びを探している場合ではない。とんでもない。そんなことをする余裕はない。

もしかすると思考の節約は、僕のような生活を愛し、だけど外的要因によって忙殺され得る小市民こそがやるべきことなのではないだろうか。

本当は自分のすべてのリソースを使って生活を愛したい。今日の服、今日の献立という、何かを生み出すわけではない思考をしていたい。楽しみたい。どうでもいいゲームとかしていたい。
だけど、私生活に使えるリソースは外的要因によって変動し得る。避けがたい。

だから優先順位をつけて、少しでも自分にとって最も大事な部分を守れるように、精神的健全性を生めるように思考の節約が大事なのかもしれない。

やってみようと思う。何から始めればいいかな。
まずそこを考えないといけないのか。、

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