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フロー体験とクリエイティビティ


私のイラストのお仕事のクライアント様の中で稀にこんな風に言ってくださる方がいます

それは「akaiki×shiroimiさんの描きたいように描いてください」と

そんな時は
良い作品とはどう作られるのかを理解してくださっているのだな…
ととても感化させられます

実は私自身、絵を描く時に言葉の羅列を表現するよりも
感覚的な言葉やイメージを表現する方が絵にしやすかったり
また良い作品ができたりするのです

先日、コメントにお答えしている中で
改めて作品作りについて考えてみたのですが
これは、もしかしたら面白い事なのかもと思い
作品作りの仕方や、フロー体験やゾーンについて語れたらと思い記事にしてみました

ご興味のある方はどうぞ最後まで読んでくださると嬉しいです



私はよく子供とレースゲームをするのですが
この時、稀にゾーンに入ることがあり
何かが自分の中でカチッとハマるような感覚と共に恐ろしいほど障害物を避けドリフトをこなし
ビュンビュンとスムーズに進んでいくことがあります

こんな時は
「ああ…今、私ゾーンに入ったな…」と冷静に考えている自分と
どこかそのゾーンに入り全てが空っぽになっている状態の自分がいるのがわかるのです

それは過集中とは違い、逆に集中せずとも
僅かな力だけでことがスムーズに運ぶ状態であり

過集中の先にある、何かが一致した時に起こる現象のようなことだと思っています

そんな経験は私の作品作りの中でも起きていることです


魔法のような瞬間


マルーン5のアダム・レヴィーンとキーラ・ナイトレイの歌が印象的だった

映画「はじまりのうた」での一部のシーンで

音楽は魔法だ
平凡な風景が意味のあるものに変わる
陳腐でつまらない景色が光り輝く真珠なる

歳を取るほど、この真珠が見れなくなるけど

映画 はじまりのうた  より

と言う作中のセリフがあるのですが

ゾーンとは少しこんな感覚に似ているのかもしれません

音楽を聴く時に心の中が空っぽであるほど、その音楽が響き
普通の日常の景色をまるで違うものように感じさせてくれる

その瞬間だけは、全ての何かから解放されたように音楽と一体になりとても軽い感覚を感じることがあります

それを言葉で語るとしたら
心情と目の前の景色や情景、それらとクリエイティブな表現力などが全てが統一され

一つの事に向かう感覚

そのために必要なのが心と頭の空白です

ジョンレノンは瞑想を日課にしていたと聞いたことがありますが
きっと、ジョンレノンの瞑想はここにつながっていたのではないかと思うことがあります


悲しみを絵にして


私自身も作品を作るときは心に空白のある状態か
もしくは悲しい時

悲しい時がここに含まれるのは、私自身が子供の頃から感情表現が許されなかった家庭の中で
自分自身の身に起きる悲しい出来事を
絵を描くことによって消化してきたからでもあるのだと思っています

それからは癖のようになっていて
私の元に悲しみが襲ってくるたびに、作品作りをせずにはいられなくなります

いわゆる作品作りは私にとって麻酔であり鎮痛剤のような役目になっているのです


全ての概念を越えた先の素直で純真な自分自身


そして本題ですが、このゾーンやフロー状態にはどうやって入るのか?と言うことですが

それは、心に雑音やブレのない状態の時により心地よさを感じられる場所に行くこと

その心地よさが、自分自身と世界の全てを一体にさせてくれるような感覚にするのです
それは、ただその時間に空っぽになって身を委ねるようなそんな感覚で

そうしていると不思議と自分の存在そのものも越えて行くようなそんな感覚になるのです

それは、音楽が見せてくれる日常を真珠のよう変えてくれる魔法とどこか似ていて

そこにあるべきものや概念を越えた心地よさに包まれることです

そして、ここでふわっと自分の元に訪ねてくる何かを拾う

ただ、それだけでそれが作品になって行くのです



私は、散歩をしているときにこんな感覚になり
自分の口からシャボン玉が出て行き
そのたくさんのシャボン玉が誰にも届かずに消えていったと言う自分の人生経験とイメージが繋がる感覚を感じました

その時に同時に言葉として受け取ったこと
「キャッチャーミットにパシッと言う音を立てて、誰かに言葉が届く瞬間を見て見たかった」と

これはきっと私自身のとても素直な気持ちなのかもしれません

誰もいない場所に行くと心は自然と素直になります

本当の声は誰もいない素直になって良い場所で流れてくるもの

だからきっとそんな言葉の拾いやすい場所に行き雑念をなくすことで新しいイマジネーションに出会えるのでしょう



全てが重なる時に起こること


先日書いた作品
絵本「小さな火」を書いた時もフローの状態にあり
1時間足らずで勝手にできた作品です

それは、頭で考えたのではなく
その時に流れてくるイメージを拾ったから

この作品ができた日は雪の日で、私はどこか自分の中に沸々と湧いてくる感情を持て余しながら息子を送り出すと
私の日課である山に行き

その道中で溜まった感情と共に吐き出すように作られました

溢れ出したら止まらずに涙に鼻水まで流して
だくだくになりながら頭に浮かぶイメージを言葉にして行き

途中からはもう物語の中にいて、自分の感情はそこにはありませんでした

こうして、物語は自然と出来上がり

山に着くと私は出来上がった作品を急いで文章にしました

この作品はきっとその日が雪ではなかったらできていなかったのだと思います

雪の日の山中は誰もおらず、そんな感覚がより
どこか異世界のような物語の世界観にどっぷりと浸かることを助けていたのかもしれません


一枚世界をめくった先の自由


私自身の体験を元にもう一度、フロー体験とは何かと語るとしたら

フロー体験とは全てが一致し統合した状態を作ることなのではないかと思っています

何が?と言うなら自分が世界の一部になり
自分自身への固執や執着から離れられるような一時の体験だと

人は生きていると、自我への固執や
他者からの目
大人としての振る舞い
過去の経験
これらに苛まれ思考を稼働して生きています

しかし、これら全てから解き放たれた時にフローと言うものは起きるのではないかと思っています

自分の生きてきた形に縛られることを捨てた時に感じられるものがそこにはあります

何かになることをやめ、何ものでもない
ただ、そこに存在するだけのものになる時間

自然の一部になるように、そして地球の一部になるように
そして宇宙の一部になるように

そして銀河系のその向こうにあるかもしれない世界を思うことで
私たちは、自分と言う鎖から解放され

自分のしたい事を見つけられるのかもしれません

目に見えている世界は、セーフティーネットでもあり
パネルのようなものでもあり
私のような人間にとっては、幻覚のようなものでもあり
永遠のない永遠を感じさせてくれる世界です

それは人によっては鎖のような牢獄のようなものにも感じるのかもしれません

パネルを越えたその向こうは、誰もにとっても未知の世界であり

その未知の世界を想像するのは自由であり
自由の始まりでもあります

そんな世界にひとり産み落とされて
私は、その世界で体験している少々馬鹿らしいと思われることを語っていけたらといつも思っています

そして、私の目標は生活そのものがフローの中にいるような生活を目指しています

あなたのフロー体験では、何が浮かぶのでしょうか?

それはきっと私とは違う面白いイメージなのでしょう


akaiki×shiroimi

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