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元週刊誌記者の”アフターキャリア” ~不思議な巡り合わせ編

週刊誌記者という仕事を都合18年くらいした。その中で数々の”敵”を作ったこともあった。芸能人、政治家、そしてメディアも遡上に乗せていたからだ。

特に僕はメディア取材を担当することが多く、いろんなメディアのスキャンダルを書き、批判をしてきた。フリーになるときに「もしかして業界は敵だらけなのか」という不安も少なからずあった。

特に東洋経済オンラインについてはスキャンダルではなかったが、編集方針についてかなり厳しい記事を書いた。当時の山田敏弘編集長にも直接取材をした。記事を出すときにメディア批判は自己批判でもあるという葛藤もあり、「自戒を込めて記事を出します」と山田氏にメールしたことを覚えている。その後、「赤石は東洋経済で”危険人物”扱いをされている」という噂を聞いたこともあった。

フリーとなりおそらく日本橋(東洋経済新報社の所在地)に近づくことはないだろうなぁ、と思っていた。ところが昨夏に「週刊東洋経済」誌のほうから、拙著「韓国人、韓国を叱る 日韓歴史問題の新証言者たち」(小学館新書)についてのインタビュー申し込みがあった。編集長はオンラインから異動した山田氏。思わず担当者に「僕、文春時代にかなり東洋経済オンラインの悪口書いてましたけど大丈夫ですか?」と聞いてしまった。担当者は「そうですか」と言うだけで、記事は問題なく掲載された。

噂は噂でしかなかったようだ。

今週発売の東洋経済でも、拙著「完落ち 警視庁捜査一課『取調室』秘録」(文藝春秋)を紹介してもらっている。掲載の連絡は山田氏から頂いた。

文春時代の批判記事を、ノーサイドとして頂けていることは嬉しくもあり、恥ずかしくもある不思議な感情だ。東洋経済と山田氏には改めて御礼を言いたい。


いま僕が連載をしているビジネスジャーナルも、実は同じ過去があった。

文春時代に手厳しく批判、社長を直撃し編集部を吊るし上げるかのような記事を書いた。

こちらも出禁だろうなと思っていた。 

ところが昨年、吊るし上げたはずの石崎編集長から連載の打診を頂いたのだ。僕はまた「僕は過去にビジネスジャーナルの記事書いているけど大丈夫ですか?」と聞いてしまった。石崎氏は「ですよね。赤石さんにはフェアな書き方をしてもらったと思っています」とやんわりと言われた。


連載当初はPVに苦戦したが、最近はかなり数字が良くなり一安心。新しい仕事として楽しませてもらっている。


思えば週刊誌時代はヒドイことをたくさんしたかもしれない。あの時はそれが「正しい」と思っていたのは事実だ。いまは書くジャンルの幅を広げ”良いこと”も書いているが、これからもヒドイことを書く可能性はある。

一方で人と再び巡り合うという新しい経験をフリーになってからさせてもらっている。「親しき仲にもスキャンダル」と週刊誌では言われたが、「スキャンダル(厳密には批判記事だが)から親交を」という逆の経験である。

フリーになったときに感じた「業界は敵だらけかも」杞憂は、今のところ思い過ごしとなっている。逆に週刊誌時代の取材で縁を持ったかたと、様々な形で繋がれている。

人生とはわからないもの、だからこそ楽しいのかもしれない。

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