見出し画像

絵描き(25)

 エレベーターの中で
 伊藤 これ終わったら、なに食べます? 「梅林」か「よし田」なら奢りますよ。
 結城 高い店ですか……?
 伊藤 高くない。とんかつか蕎麦(笑)。
 結城 あっさりしたものがいいな。
 伊藤 「よし田」か、それかフレンチのお店でいい所を最近見つけました。
 結城 んー。
 伊藤 いえなんでもいいのですが。フレンチ? てか君しゃべるな。田舎者は普段なんにもない分、東京に入ると食にどん欲になりますねぇ……。なんかこのエレベーター上がらなくないか? ああ、押してねえのか(笑)。わざと、わざと。
 結城 わざと押さないんですか。
 伊藤 俺、エレベーター入ると絶対こう、開くボタンを押す係になってるんすよね、いつもふわっと、気づくと……。

 伊藤 絵描きのことは無条件にリスペクトするようにしています。あんまし批評にかぶれていたりするような人は嫌だけれど。それってこっちのやることだから、と。
 結城 結構批評読みますよ。
 伊藤 例えば……椹木野衣は? 東浩紀でもいいや。
 結城 読みます、読みます。けど――。
 伊藤 けど、ドライでしょ。あんまり信用してない。
 結城 信用していないっていうことではないよ。難しいですしね、こっちにそのリテラシーがないんですよ。
 伊藤 ……あー、それはでも嘘でしょう。僕が聞いた話だと、映画館で映画が退屈だからってヴォリンガー読み始めていたって(笑)、聞きましたよ。なんの映画だったのかは聞かぬが花なの?
 結城 伊藤さんは読むでしょう。
 伊藤 あまり。上澄みをというか、代表的なものだけを読めば大体は分かるので。それで変化するのを待つ。作家も批評家も多すぎるから、基本は寝かせるんすよ。
 結城 寝かせる。
 伊藤 椹木野衣さんの「震美術論」みたいなのを待つ。もうなにか題名で、来る時には来たと分かるから。「シミュレーショニズム」を書いた人が、ああいう風に転回するのを待つ。表現者って変わるっていうことが一番、興奮しない?
 結城 描くということだったらもちろん、連作でなくてもいいけど連作ひとしきり描いて、さて新しいところに行くか、というのが面白いですね。これはもう。なんというのか……自然とそうなる時が。その時には飽きているからというのもあるけれど。
 伊藤 同じです。
 結城 皆、そうか。
 伊藤 飽きるか飽きないかでいえば皆そうでしょうが、聞いていて思ったというか、いつも思うのはサン・ヴォルトとウィルコっていうオルタナ・カントリーの二大バンドがあるのね。前者は泥臭いオルタナ・カントリーをもう一筋に流し続ける。ウィルコは新しいメンバーをどんどん入れ替えたり、実験的なことをやっていく。
 結城 ふんふん。でも、ウィルコ……? であっても、有名なんですよね。ウィルコであっても、バンドとしての持ち味とか個性とかがあるわけでしょう?
 伊藤 ウィルコの方が人気。
 結城 ハハハ。
 伊藤 結局作家性というところでは、どっちも同じ問題に突き当たるというか、分けても仕方がないのだけれども、でも、分けられますよね。ベートーベンは変わり続けた人。漱石も。芥川は同じことをやり続けたし、三島は……変わろうとしても変われない。
 結城 (笑)。
 伊藤 ? ああ、三島、好きなの?
 結城 変わろうとしても変われないって面白いですね。私はウィルコだ。
 伊藤 僕もそう思ってきていたのだけれど、……。でもなにかコツンと、行き当たるもの、変化をしながらも変えられないものを身につけた感覚を最近は持っています。あなたもそうでしょう。
 結城 うん。変えて行くのは好きです。サプライズしてなんぼだと、あれを描いた人が今度は水彩をやっている、となにか拡大していくのが快感なんですね。困ったものだ。けれども、やりたいことというのは私の中では一貫している……。
 伊藤 いや、一貫しているのは当たり前なんでしょう。僕は分からないけれど、描きながらの手続きの中で、ここをこう書き込みたい、とかがあるわけでしょう。手放せないものが――、だから、ゆらぐ。
 結城 そうです。それは手放せないものがあるから、だから変わりたくなるんだとも言えて、それってでも不遜な言い方かも知れないけれども。
 伊藤 そこなのだと思います。――そことかこことか、なんかすっごい繊細な話になってっけど、これ、大丈夫(笑)?

静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。