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有田の陶器市へ【1/2】〜有田焼の興り〜

長年訪れたいと思っていた佐賀県有田の陶器市に行ってきました。陶器市は年に二回春と秋に開催されますが、今回は秋の陶器市に行ってきました。有田は有田焼で知られる地域で、ずっと行きたいと思いながら行けずにいた陶器市でしたが、やっと初めて訪れる事が出来ました。子供連れでの訪問だったためとても1日では全てを見ることはできませんでしたので、今回は特に歴史的な建造物や雰囲気の残る「伝統的建造物群保存地区」というところを中心に探索しました。楽しかっただけでなく、気づきや学びや出会いの多い探訪となりました。
今回は画像多め、引用多めなので2回に分けて発信していきたいと思います。

〇そもそも有田焼とは

佐賀は焼き物が有名な地域でして、有田焼・伊万里焼・武雄焼・唐津焼・鍋島焼と様々な種類があります。日本というのは世界的に見ても大変長い焼き物の歴史を持つ国であり、始まりは一万年以上前の縄文時代にまで遡ります。これは世界的に見ても桁違いに古い歴史だそうです(その頃世界は石器時代)。「縄文土器」という土をコネコネして作ったものを低温(800℃前後)で焼いて作る土器から始まり、弥生土器・土師器・須恵器等の土器、その後飛鳥・奈良時代になると新たに陶器が作られるようになります。長く江戸時代まで陶器が作られますが、いよいよ江戸時代に磁器が誕生することになります。朝鮮からの陶工・李参平が佐賀県の有田で陶石を見つけ、これを使った磁器が作られるようになり、ここから有田焼が発展していくことになります。(説明端折りすぎて怒られそう…笑)。

〇そもそも土器・陶器・磁器とは?

焼き物と一口に言いますが、土器、陶器、磁器と種類は色々あります。せっかくなので調べてみました。

作られた時代順に、
土器:主な原料はで、釉薬をかけずに800℃程度の低温で焼成したやきもの。
炉器:炉器と書いて「せっき」と読みます。主な原料はで、鉄分を多く含むものが一般的。1200~1300℃の温度で焼成したやきもの。素地は緻密で吸水性がなく、陶器と磁器の中間のような性質を持つのが特徴。
陶器:主な原料はで、釉薬(ゆうやく)をかけて1200℃程度で焼成したやきもの。素地(きじ)には細かい穴が開いた構造で吸水性があり、弾くと鈍い音がするのが特徴。
磁器:主な原料はで、釉薬をかけて1300℃以上の高温で焼成したやきもの。素地は緻密で吸水性がなく、弾くと金属のような清音がする。家庭用の食器として最もよく使われている。

おおまかにこの4つに分類したものをまとめて「陶磁器」と言います。
このように原料の違い、釉薬の有無、焼成温度の違いなどで分類するということが分かりました。
石を原料にしたものは「磁器」だけなんですね~。フムフム。そして、この「磁器」の発祥が「有田焼」ということになるのですね。

※色々調べましたが、これらのサイトが分かりやすかったです。

〇有田焼に興味を持ったきっかけ

佐賀は焼き物が有名にも関わらず、焼き物にも有田にもこれまで特に興味を持たずに生きてきました(もったいなかったー)。今年の年明けに有田や焼き物を調べる機会があり、初めて興味を持ちまして、焼き物の土地として訪ね、そこから段々と興味が深まりました。

〇泉山磁石場~400年かけて一つの山が焼き物になった~

さぁ、なぜ磁器が有田で誕生したのか?そしてその後世界に名だたる「有田焼」として発展していったのか?
それは、朝鮮人陶工の李参平が日本に連れて来られた事と、この原料の採れる山、泉山磁石場の発見から始まりました。

泉山磁石場の案内板
かつてここは山でした。その原料を採掘し、焼き物へと姿を変えていった。400年かけてひとつの山が焼き物になりました。

原料となる磁石が大量に採れた事、多くの窯元の勃興、完全分業制で大量生産を可能にしました。のちに東インド会社を通して世界へ輸出され、有田焼は発展していきます。
泉山磁石場は一度訪ねた事がありますが、こういった経緯を知って訪ねたからでしょうか、まさに歴史そのもの、という感じでした。400年前の当時の様子が描かれた案内板などがありますが、目の前の風景と400年前の風景がオーバーラップして、当時のそこで働く人々が今目の前にいるかのような感覚になりました。「歴史を感じる」とはよく聞く表現ですが、全身で歴史を感じた、その時代にいるかのような気持ちになった体験でした。

〇有田焼の祖・李参平

有田焼を理解する上で欠かせないのが李参平です。
朝鮮一般陶工だった李参平が、文禄・慶長の役の末期に鍋島直茂により日本の肥前国に連れてこられ、今の佐賀県多久市に預けられ、そこで今までの技術を活かし陶器の生産を始めます。しかし思い通りの焼き物ができず、白磁に適した原料を探し求めて各地を転々とし、たどり着いたこの有田の泉山で良質の磁器鉱を発見したそうです。

戦争で連れて来られた朝鮮陶工と、磁器に適した原料の山との出会いがあり、有田焼が始まったのですね。なんていうか、これぞ歴史だなぁと感じます。

〇有田内山の町並み「重要伝統的建造物群保存地区」

という訳で前段が長くなりましたが、こういった歴史・興味を踏まえて行ってきたのが今回の陶器市でした。
子連れで短時間の滞在だったので、特に行ってみたかった「重要伝統的建造物群保存地区」を中心に行ってきました。

この案内板の朱色のところ


以上が前編となります。後編は実際に歩いて見てきた景色・そして李参平の末裔の方との出会いなど、写真多めで載せていきたいと思います(^^



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