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双極性障害:症状を理解されない苦しみと後悔

最近の私は躁鬱の波は以前よりなだらかになってきているとはいえ、そのなだらかな波や落ち着いて見える状態の時でも突発的に鬱に落ちたり、躁状態のような怒りの感情が湧き上がることがある。

そういう時のためにも頓服があるのだが、それは鬱に落ちた後や怒りの感情が出た後にしか飲めない。
なぜなら突発的に出てくる症状は予兆が無いから。


私がまだ双極性障害の治療を始める前、友達のように仲良くしていた同僚がいた。

その同僚に「AKANEはものすごく気分屋だよね。たまに気分屋がひどすぎる時もあるよ」と言われて驚いたことがある。
そんなことを言われたのは人生で初めてだったから。

その後も度々「気分屋」は言われた。
でも自分ではどの辺りが気分屋なのか全然分からなかった。

今思えば、その24歳頃から双極性障害は発症していたのだと思う。

「気分屋」なんて言いつつも、友達のような感じでその同僚は仲良くしてくれていた。
ドライブに行ったり海に潜ったり。
もうほとんど友達だった。

幼少期から24歳くらいまでの間、他人によく言われた私に対する言葉は、

「いつも冷静」
「クール」
「年齢よりも落ち着いていて大人びている」

こんな言葉ばかりだった。
実際、その通りだったと自分でも思う。
基本的に物静かで感情表現は控えめだった。


去年の4月、その同僚が住んでいる町に旅行に行き数年ぶりに会った。

その時に突発的に躁の症状が出た。
それも車の中という、最悪のシチュエーションで。

躁状態というのは様々な症状がありどれも厄介なのだがその時は「イライラ」の症状が出た。

普段の私ではあり得ないくらい怒りの感情が内側から湧き上がり、それは相手にも伝染した。
そして私の怒りはさらにヒートアップした。
数年ぶりの再会が台無しだ。

出来るだけ近い駅で降ろしてもらい車のトランクからスーツケースを出し、友達の精一杯の優しさの「バイバイ」の声も無視し目も合わさず無言でスタスタと駅に向かった。
全く自分らしくない行動に内心酷く混乱していた。

結局、それが最後の別れになった。

当時はもちろん自分が病気である自覚も無く頓服も持ってないので怒りの症状は数時間経っても収まらず勢いのままLINEをブロックし友達からも削除して、アドレス帳にある電話番号も消した。

そしてその数週間後に来た鬱の時期に強い自責の念と後悔で苦しんだ。
でも言ったことは、やったことは取り返しがつかない。
友達に戻る術もない。


似たようなことはこれまでに何回もあった。



でも医療に繋がってる今は頓服がある。
病気のことも詳しくなって「これは症状なんだ」と、説明することもできる。
理解度は相手によって違うが。



この病気と付き合って生きて行く中で特に難しいのが「周囲の理解」だと思う。
ですよね?同じ病気の方々。

精神的な病気が理解されにくいのは、イライラや散財、鬱のような多少の気分の波は誰にでもあり、症状はその延長線上にあるように見えるからだろう。

だけど、病気だから薬が必要なのだ。
脳の病気だからこそ認知症のように「人格が変わる」ようなことが起こるのだ。
病気ではない単なる気分の波ならそもそも医者にかかる必要もないし、仮にかかったとしても双極性障害なんて診断名はつかないだろう。

私が朝昼晩と寝る前、そして頓服として飲んでいるクエチアピンという薬は主治医曰く「普通の健康な人が飲むと36時間は起きれません」と。たった1錠でもね。

私の脳はその薬の他、バルプロ酸ナトリウムという気分安定薬、ランドセンという薬を主治医に「これ以上は処方できません」という量を飲んでいるおかげでどうにか普通の人っぽい生活を維持出来ている。
(ちなみに症状の出方によってランドセンも頓服として使う場合も多々ある)

一時期はこれらの薬の量でも症状が激しく、でもこれ以上薬を増やすこともできない為に苦しんだが、最近ようやくこの「これ以上処方できません」薬の量で安定できるようになったと実感している。

「いつになったら減薬してもらえるのかな」
なんて思っていた時期もあるが、今は信頼している主治医の判断に委ねてその時をゆっくり待とうという心持ちでいる。

画像はフランス留学中、オルセー美術館でゴッホ展をやっていた時の画像。

偉大な画家ゴッホ。
彼も双極性障害で苦しんでいた1人と言われている。
3月30日は「世界双極性障害デー」
彼の誕生日である。

せっかくこんな日が制定されているのだから、2大精神疾患の1つとされているこの病気の認知度も少しでも上がって欲しいと願う。
目に見えない障害は私たちには生きづらいから。

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