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おすそわけ日記 204「衝撃の嵐」

夕食後のひととき、母と語る。話をしているうちに、マイペースな母のとんでもない勘違いに行き当たってしまった。

「お母さん、まさか、自分がズレてないと思ってる!?」

「うん」

なんと、こんなにズレまくっているのに。恐るべき、認識不足。

お母さん、言っておきますが、私たちは少数派です。私は子供の頃から家庭環境も含めて、自分が如何に人とズレているかを痛感しています。学校でも職場でも、自分と同じ様な人は殆どいません。まぁ、自分とまるで同じ人はいないし、逆に自分と同じ様な人だからと過度の親近感を持つのも危険だと気づきましたが。

と云う様なことを息の続く限り、母にまくしたて、脳内酸素を使い切った私。ふと見ると、母も衝撃を受けていた。

「知らなかった…もっと早くに知ってたら、生きて来られなかったかも」

これ、マイペースな人程、周りを見ないから、自分のズレに気づかないパターンだ。じゃあ、気づかなくてラッキーだったよ。

その後、会話の矛先が、私が如何に人の顔を覚えられないかに向かい、四十年来の友人と待ち合わせをしても人間違いをすると云う話になる。私にとって、探し物をすると云うのは苦痛な行為。よってもって、途中で妥協案を出したくなるのだ。あー、もう、この人が友達だってことにしとこう、と。

この話を人に話す度、皆、一様に呆れ顔になる。

だが、母は違う。「向こうに見つけてもらうんだよ」

お母さん、仰る通りです。ただ、その理屈が通るのは、あなたと私の二人だけ。同意の言葉を続ける母に、言っておかねばならないだろう。

「お母さん、それが通用するのはこの二人の間だけだから」

世界には通用しないんだよ。だから私たちはズレてるんだってー。二人で「だね、だね」みたいに通じちゃうから、それがフツーだと思ってるでしょ。

母、二度目の衝撃を受けた様子。

私は、高齢者の心に更なるヒビ割れを作る気もないので、母の素晴らしい所を伝える賞賛モードに自分を切り返る。お母さんは、純粋で美しい女性です。本当に素晴らしい!

三十分後、母は、無心にあつ森プレイを楽しんでいた。今日はあつ森内でサンバカーニバルの催しがあるので、異様にテンションが高い。ゲームの中も、我が家の中も。

多分、母はもう立ち直っているハズ。

「お母さん、さっきの衝撃、もうなかったことになってるでしょ?」

「さっきの衝撃って…何?」

この瞬間、今日一番の衝撃が我が家を襲ったのは、言うまでもない。


【今日の一枚】あつ森のサンバカーニバル。写真のベルリーナさんが腰を振りながら異様な盛り上がりで踊るのが大好きな母と私です。今年も笑いが止まりません。

【#つづく日々に】のタグをつけて、日常で心ときめいたことを投稿中。日常のよろこびをみんなでシェアしあって、笑顔が増えたら嬉しいです。

毎日、書く歓びを感じていたい、書き続ける自分を信じていたいと願っています。