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おじいちゃんのこと


おじいちゃんが亡くなった。

よく分からなかった。朝方に親から連絡が入っていて、起きてから気づいた。
正直全然分からなくて、ぼーっとした。
どういうことだろう、ってなって、全然理解が追いつかなかった。
そして、頭はぐちゃぐちゃでもだいぶ冷静な自分にびっくりしてた。


こういう時って普通、訃報を聞いた途端泣きじゃくるんじゃないっけ?
映画の見すぎ?

あんなに大好きでそばにいたおじいちゃんなのに、なんでだろう。分かんない。

ただ、なんだか頭がズキズキしてた。


とりあえず適当にお腹に入れて、アルバイトへ行く。
バイト中は忙しすぎて、そのことはほぼ忘れてた。ただ、お客さんがおじいちゃんと同世代くらいだった時は、あぁ〜この人は生きてるんだな、って思った。この人は生きてて、でもおじいちゃんはもう生きていないんだな、って。

その日の夜には夜行バスで実家へ帰った。
とにかく少しでも早く家族とおばあちゃんに会いたかった。


バスの中でも実感が全くわかない。ずっと平常心のままだった。
全く眠れない。色んなことを考えた。死とは何か、生きるとは何か、そのふたつの間には何があるのか、など。


そうして家に着く。いつも通りの親を見て安心する。


おじいちゃんに対面。顔を見るのはすごく怖かった。
でも、見た途端なんだか「悲しい」「怖い」気持ちはすーっとなくなった。
なんかあまりにもやりきった顔で幸せそうに寝ているから、うれしかった。あぁ〜、この世に本当になんの後悔もなく去っていったんだろうな、って。
こんなにすっと受け入れられるとは思わなかったから、そんな自分に驚いた。

ただ、残されたおばあちゃんがこらえているのを見て、おばあちゃんにふれて、その途端こらえきれなくなった。おばあちゃんの気持ちを思うと1番苦しい。


こうしておじいちゃんの死について少なからず受け入れ、次の日にはお葬式と火葬があった。



次の日

お葬式。
家族葬だった。葬儀の出欠に関係なくたくさんの人が来て泣いてくれたりした。少し救われる。
葬儀の間はずっと、おじいちゃんとの思い出をぐるぐる考えてた。2人きりで過ごした時間、しゃべったこと、散歩した場所。

棺桶のふたを閉める時が1番しんどかった。
思い出のものを入れ、花も入れる。
これが最後です、って言われるからもう悲しくて苦しくてしょうがなかった。おばあちゃんがものすごく泣いていて、ずっとぎゅうってしていた。


火葬場。
本当に最後だと思うとつらかった。棺桶に泣きついたし、抱きしめた。わかってはいるけど、この姿を目にするのは本当に最後。なかなかきつかった。


お骨上げ。
最初は見れなくて遠くから動けなかった。
いとこに心配される。
でも親に呼ばれて1回きちんと見てからは、近くでまっすぐ見ることができた。
こんな骨がおじいちゃんを支えて、生かしていたんだなぁと。太くて強い骨がいっぱい残ってた。
ひとつひとつに「お疲れ様」を言いながら骨壷にいれる。

絶対見れないだろう、ていうか見ないようにしよう、って思っていたけれど、あそこまで形が違うと逆にふっ切れた。受け入れることが出来た。


最後、お寺でお経を読んでもらって終わり。




ちょっと寂しくて、でもあたたかかい時間だったと思う。



そんな時間を通して色んなことを感じたし、考えた。



この時間で自分なりに考えたことを、これから自分の力で言葉にしてみようと思う。
ゆっくり、じっくり。



こんなに長い文章を読んでくれた方、もしいたらありがとうございます。



おわり



今の気分
久しぶりにいとこに会えた
楽しかったなぁ〜
いとこにはお兄ちゃんが2人いる。
散歩したり、カフェに行ったり、夜の小学校に忍び込んで一輪車や竹馬をしたりした。
みんなそれぞれの生活があって、もう「大人」だけど、集まって昔と同じようにいられるの、めちゃくちゃ嬉しい
幸せだなぁ〜

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