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【虐待サバイバーな彼】相手の要望に応えて自滅するクセが歯がゆくて仕方ない【ASDなワタシ】

同じ50代のパートナー氏は子ども時代、虐待から生き延びてきた虐待サバイバー。今年に入ってすぐ、わたしも彼もはっきりそのことを自覚し、お互いに内側を見つめる日々。これまで見てきた彼の不思議すぎる不可解な行動について、成育歴を鑑みて考えると納得いくことが多々あり、あれこれ分析している。

彼のお金の使い方はときどき恐ろしいほど自虐的。他人や物ごとのために大きくお金を使うけど、そのために自分自身が窮してしまうことも多い。つまり、ある側面からみると「太っ腹」なんだけど、その逆の側面からみると「恐ろしくお金の計算ができてない」とも言える。

しかしその本当のところはと言うと。

フツウの人が普通に考える「自分自身の生活のために必要なお金はまず取っておき、それ以外のところで大盤振る舞いする」という基本的な考え方とは真逆な生き方なのである。

というのは、「まず、なにかしらに大きくお金を使い、そのあとに『さあ、これで自分はなにを我慢しようか』と、自分が我慢して金策することを考えていく。

虐待サバイバーたちは、「フツウの人たち」とは生きているベースがあまりに違う。それはたとえば毎朝起きてすぐに往復5時間かけて水を汲みに行く人の生活と、水道の蛇口をひねれば飲める水が出てくる人の生活、というくらいにかけ離れている。

ただ、虐待サバイバーたちとわたしたちとの違いは目に見えない「心理的なもの」なので、外側からはなかなか理解できない。でも、心の中はそれほどまでに「フツウの人たち」とはかけ離れている。

子ども時代、我慢することでしか生きていく術がなかった人たち。「我慢しないでいる」ということが、潜在意識の段階から理解できない。親と気持ちを共有し、安心してケラケラと笑って緩んでいられたわたしたちとは異なる世界の心理状況。

少しずつ変わってきたパートナー氏、だけど。

彼自身も、ようやく自分の状況を客観的に見ることができるようになり、「やっとフツウの人と同じ感覚でお金の見通しが立てられるようになったよ」と言う。

「じゃあさ、もしだれか友だちからお金を出すことを頼まれたりしたらどうする?」

「んーー、、、だから今、誰とも会いたくないんだ。いまの自分の『呼吸』を乱されたくない」

彼は「頼まれごと」に弱い。「自分が必要とされていること」にはすごく敏感だ。「消えてしまいたい」が基本ベースな彼だからこそ、というのはよくわかってる。でも、ついつい「それ、あなたじゃなくて誰もいいことだし、気負う必要まったくないよ。いま自分も大変だからって言って断ればいいんだよ~」って思っちゃう。

彼にはそれができない。というか、しようとしない、というか。我慢することをベースとして生きてきた彼には自分が大変な状況でも「必要とされている」ことに応えるのは、ものすごく重要なことなのだ。

「いや、あなたじゃなくてよくね?」って、わたし、めっちゃ歯がゆいんですけどーー!笑

そんなわたしの気持ちも察して「いま誰にも会いたくない」って彼は言ってるのかもしれない。頼まれごとをされれば「喜んで」引き受けてしまいそうだと警戒しているのかもしれない、ね。

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