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ADHD傾向のないASD女性【発達障害になかなか気づけないたくさんの理由】

今となっては本当に不思議なことなんだけど、生まれてから半世紀以上、自分がASDだという自覚は一切なかった。しかも、それこそ発達障害と言われる子どもたちが多く集まるフリースクールの非常勤講師をしていても、それでも気づかなかった。灯台下暗しとは、まさにこのことだ。(なのか!?)

わからなかった原因を思い当ってみると、そのうちのひとつにわたし自身に「目立ったADHD傾向がない」というのが挙げられる。子どもの頃、授業中座っていられないことはなかったし、時間にはかなり正確だし、忘れ物もあまりないし、片付けも得意。ADHDだとそれらはすべて逆になるので、本人も周りも気づきやすい。反対にそれらがないと、なかなか自分も周囲も気づくことができない。いや、もしかしたら周囲からは「空気が読めない人」とか「風変りな人」くらいには思われていたのかもしれない(きっとそうw)。自分ではいたってフツウだったつもりなんだけど。

だがしかし、ワタシの「片付けが得意」には、かなりのこだわりがある。部屋に「余白」がないと、苦しくなるのだ。ある程度散らかっていることもあるけど、それは「自分が許した散らかり」なら大丈夫ということで、家族など自分以外の人が散らかしているのは、なかなかにキツイ。個人の部屋の中ならいいんだけど、廊下や玄関先などにモノが多く置かれているのは、心労に近くなってしまう。

という感じで、細かに見ていくと、生活のあちこちに強いこだわりがある。これってフツウみんなそういうものよね? って思ってた。でももしかしたら、苦しくなるまでのものではないのかもしれない。

あと、わたしがASDだと気づかなかった原因だと思われるものに、今わたしがあまりストレスなく話したりできる人たちの多くは、「発達障害もち」なんじゃないかな、ということ。類は友を呼ぶ、というかなんというか。子どもたちを通してたくさんのママ友と知り合ったけど、いまもときどきやり取りしているのは「わたしADDなんだ」と言っていたひとりのみ。

あとは、趣味や興味を通じて知り合ったオンラインコミュニティの人たちはたくさんいる。チームで仕事もしているし、たまにオフで会う人たちがいても、ちょうどいいくらいの距離を保てている。そしてその多くの人たちが、一癖二癖ある。そこに慣れ過ぎてしまって、それが「普通」になってしまっている、というのもあるかもしれない・・・

まぁ、そんなこんなで気づけなかったんだろうなぁ。あと、他人のことはよくわかるのに、自分自身のことってなかなか客観的に見られないからね。そういうのもあるのかもしれない。






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