「安心することが恐怖」という逆転発想を理解したら涙しかなかった【虐待サバイバーな彼】
パートナーが虐待サバイバーだとふたりで気づいてから2カ月。
すごく大きな変化というのはわたしにはあまりわからないけど、彼自身はかなり変わったと自覚しているみたい。
彼はいつもいつも「人目」を気にする。
ASDなわたしからすると、「人の目」なんてどこにもないって思われるようなときにも、彼は「人の目」から見たジブンを気にする。
「あの人なんかヘンだよねって思われてるよね」っていう発言が多い。
「いやいや、だれもあなたのことなんか見てないから。そりゃね、外を素っ裸で歩いてれば、街中の人が注目すると思うけど。ちょっと汗をいっぱいかいてることなんかだれも見てないし。というか、見えないしw」
「そうかなー」
「だいたい、そんな風に監視を気にしてて、疲れない? わたしそれいやだなー。めっちゃ疲れそうだわ。いちどわたしと変わってあげたいよ。この、人目を気にしない性格、めちゃラクだから」
「ラクなのは疲れる」
「へっ!? どゆこと!?」
ラクなのが疲れるって!? さっぱり意味不明。
とはいえ。同じ体感はできなくても、最低限の理解はしたい。
そう思ってわたしは、パートナーに説明を求めた。
彼自身、そうやって相手が理解できる手立てを考えることで、じぶん自身のことを客観的に見つめることにもつながっているようだ。
安心することが恐怖につながってるんだよ。
意味わからないよね? ノーマルに育てられた人にはわからない感覚だと思う。
幼いころの自分の心情を話すよ。
たとえば、今日は叱られなかった、とする。
どうして叱られなかったんだろう?
叱られないほどの、より悪いことをしたのだろうか。
そういう感覚になる。
だから、叱られてる方が安心する。たたかれている方が安心する。
「常に安心がない」のが生き延びていく上での「安心」なんだ。
「常に安心がない」ところにしがみつかないと生きられない。
必死になって環境に適応した結果だ。
「・・・・・」
言葉が出なかった。
あまりに異世界すぎる。
パートナーは続けた。
「でもね、最近やっと、本当の意味での『安心』を、少しずつカラダがわかってきた感じだよ」
そっかそっかー。よかったよかったよかった・・・
わたし、いつも歯に衣着せぬ言葉でズケズケ言っちゃうこと多いけど。言ってから「ああ言い過ぎたー」ってことも多いけど。まぁそれも、功を奏してるってことかな。
わたしからすると、彼はまだまだまだまだ人の目を気にしすぎてるけど。それでも、彼からすると「ずいぶん変わった」のだ。
わたしの方こそ、彼を「監視」しちゃってる。もっと、彼の弱いところも丸ごと愛していこう。それが、わたし自身のダメなところをもわたし自身がゆるしていくことにつながっていくから。
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