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「人にぴったり合わせる」と「人に全く合わせない」の根源をたどった結果

人は大なり小なり、他の人に合わせることが多い。目の前でしゃべってる人の話に、あまり同意はしていなくても、「うんそうねぇ」と言ったり。自分と異なるからって反論ばかりしていては会話が成立しなくなるからね。ディベートでもない限り。

それが。

自分をねじ曲げて、わたしからすると「完全にウソの世界」を展開してまで人に合わせてくる人がいた。友人の友人Rさん。乗り物に乗ったとき隣席でたまたま長話をした。物腰の柔らかい男性で、とても話しやすい人だった。長くたのしく話すことができた。と思っていたけど。

後になって友人から聞いた話がRさんが話していたこととかなり違っていて、「あのときRさんは、わたしに合わせるために話を捏造していたんだ!」と気づいてめちゃ驚いた。わたしにはできないワザ。そしてがっかりした。もう二度と会いたくなくなった。

「捏造」と表現してしまうのは極端かもしれないけど。でもそれくらいわたしは、「自分にうそをついて相手に合わせて話すこと」がニガテだし、「自分という個を確立していたいニンゲン」なんだなということだ。

Rさんとわたしは磁石のN極とS極のようにちょうど真逆の性質なんだけど、実はその奥にあるものは同じだったりする。「自分を守る防衛本能が発動している」ということ。

Rさんは瞬時に相手に合わせ相手の望む行動をとることで、ずっと自分を守ってきた。わたしは、相手に合わせず自分を主張することで、ずっと自分を守ってきた。どちらも、「守りたい自分」のため。

でもそれって、本当に自分を守っているのだろうか。Rさんは「自分が完全にいなくなってる」し、わたしはわたしで「主張しすぎてる」。どっちが悪いとかいいとかじゃなくて、極端だよね。そしてどちらも、「生きづらさ」を感じている、ということ。

まずは相手のことも自分のことも、理解すること。気づいていくこと。Rさん側の人は「もっと自分を生きていい。主張していい」、そしてワタシ側の人は「もうちょっと柔軟になってもいい。人に合わせてもいい」。

こうしなければならない、というわけではないけど。少しでもたのしく生きていけたらいいね。ゆるんでいこう。



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