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【女性ASD】「普通にやろう」が抜けたらかえって「フツウ」になる

ずっとずっと、「普通」になりたかった。

「普通」ってなに? っていう疑問はいつも残るけど。とりあえず、この日本で「普通に」「無難に」暮らしていけたらラクだよね、って思ってた。

わたしの中の「なりたい普通」は、「気の利くヒト」「気づかいできるヒト」であること。周りの空気を察知して、さりげなくかわいらしい冗談を言ってなごませたり。みんなのココロがあったかくなる言葉を瞬時に言えたり。

そんなのがあこがれ的なフツウだった。

でもでも。どーーーしてもわたしにはムツカシイ。もしもわたし以外の周りの時間が止まって、1分くらいの時間がわたしだけに与えられるのならきっとできるw そう、考える時間があればできる自信ある。でも、「瞬間的に」はムリ。どーーしたって無理。「貝」になるか、ぼーっとしてなにか他のことを考えてるか、あるいは余計なひとことを言ってしまうか。そんな感じなのがワタシ。

特に、余計なひとことを言ってしまったときは、自分を責めてしまいがちだった。しまったしまった! やっちまったーー! って。

でも、自分の発達障害を理解してからは、そういうことが少し減った。「空気を読めない」のは先天的なものであり、自分の「努力不足」や「性格の悪さ」からではない、ということがわかったからかもしれない。そして、努力してがんばってなんとかなるものではない、と。もともとの気質なのだ。

そう自分のことを理解できたら、緊張のようなものが減り、かえって「フツウ」にできるようなことも増えてきた。というか、ある意味「演じられる」ようにもなったのかもしれない。

とりあえずここではこうしておこう、みたいな。「がんばって、空気の読める気づかいある人になるんだー!!」っていう気合いみたいなものがなくなったのかな。できないものはできないときっぱりサレンダーする(降参する)って大事なんだね。これまで引きずりすぎてた。

とはいえ、相変わらず、人の話を聴いていてもふっと気が抜けてドコカにいってしまう。ま、しょうがない。これがワタシなんだもの。


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