見出し画像

【虐待サバイバーなパートナー】人前で好きなケーキを選べるかどうか問題

虐待サバイバーな彼の本当のところを理解したくて、情報を集めている。が、ネットではどうもいい情報が見つからない。動画も。わたし自身のASDについてはYouTube見てても良さげな動画がどんどん関連動画として挙げられてくるけど。大人になった被虐待児たちの心理状況などについてはほとんどない。

そんななか、精神科医の高橋和巳先生の著書を何冊か読んだが、深く考えさせられている。一般的な家庭で育った人には到底想像しえない精神状態で生きている、ということを知れただけでも、彼を理解していくのにとても大きな手助けとなっている。とはいえ、わからないことは山積みだ。

いまは高橋先生のこの著書を読んでいる。スマホの話題も載っているくらい、先生の著書の中ではいちばん新しい。

この本のなかに、「人前で好きなケーキを選べるかどうか」で「愛着の否認」度を測定する問題がある。
仲のいい友達4人と集まってたのしくランチをした後、ティータイムに食べるケーキを選ぶ、という設定。テーブルの上に5種類のケーキがあり、どれもおいしそう。特に理由はなかったけど、自分が最初にケーキを選んでいい、ということになったとき、どんな反応をするか、というもの。

あなたはどうしますか? どう感じますか? それはどうしてですか? 次の中から選んでください。

1----------2----------3----------4----------5
1喜んで選ぶ 3ためらいながらも選ぶ 5いいよ最後で(と遠慮する)

気持ちを1点から5点の間で選びます。

わたしだったら、2.5くらいかな。ちょっと悪いな、と思いながらも好きなの選んじゃう。彼に聞いたら「最後に選ぶ」だった。わたしは理由を知りたくて「なんで? どうしてそうするの?」と聞いた。

「なんでとか理由はないよ。最後でいい」と理由はない模様。でも、本にはそのときの気持ちが記されていたので、彼にも聞いてみたくて「なんで? なんで?」って聞いた。でもやっぱり「どうしても」って。

本には、普通の家庭で育って健全な愛着形成ができた人は平均2.5点、虐待をされて愛着形成が不十分だった人は平均4.33点と、明らかな差があると書いてある。

仲のいい友達となら、ケーキひとつくらい選んでもたいしたことなくない? ってわたしは考えてしまうんだけど、虐待サバイバーたちの心情はそんなんじゃない。自分の気持ちに制限をかけることが当たり前。自分は愛されるに値しないし、自己主張するのはいけないこと、怖いこと・・・。自己否定が、わたしでは想像できないくらい大きすぎる。

そのあと彼は、怒りが勝手に出てきて収集つかなくなってしまい、横になった。あ、しまった、わたしまた、いろいろ言いすぎちゃったかな・・・

「子どものころ、母親にいつも『なんで!?』って問い詰められてたこと、思い出した」そうか、わたし、何回も言っちゃったもんねぇ・・・

本を読んで「普通の人はこういう反応で、虐待を受けて育った人はこういう感じ」って、彼に説明してしまうのもよくないのかもしれない。気づいてほしい一心なんだけど、いま現在、彼は自ら気づいていってるさなかなので、わたしはもうあれこれ余分なこと言わずに完全見守り体勢の方がいいのかもしれない・・・。


ご覧いただきありがとうございます。いただいたサポートを励みに、今後さらに活動を広げていきます♡