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輪舞曲 ~ジロンド⑨~

 あたくしは、その時まで何も知らなかった。もうすぐお母さまもいらっしゃるはずだと思って、ずっと待っていた。でも、来る日も来る日もお母さまは来なくて、どうしてなのかしらと思っていた。 
 ある時、お嬢さまが泣きながらお父さまにお話ししているのを聞いてしまったの。お母さまに会いたい、パリに迎えに行きたいと何度も言っていたわ。でも、お父さまは泣きそうな顔をして、もう少し待つようにと言うだけだった。
 大きな家じゃなくてもいい、素敵な家具や絵がなくてもいい、ドレスだっ少しでいい。あの頃みたいに、お父さまとお母さま、お嬢さまと笑顔で暮らしていけたら・・・きっとその日はもうすぐ来るはずよ、もう少しであの日に戻れるはずだわ。あたくしは少しも疑っていなかった。
 
 あれから何日も経つのに、お母さまは来ない。
 お嬢さまが寝てしまった夜更けに、隠れるように家に来たひとがいた。お父さまはそのひとを家に入れると、小さな声で話し始めた。
「それで、ジャンヌは?元気にしていたか?いつこちらに来てくれるんだ?」
「ジャン、落ち着いてくれ。私も先日会いに行ったが、彼女は元気だった。今、仲間が牢から出そうと手を尽くしている。彼女は牢の中でも論文を書いているようだ。」
「ああ、何ということだ!一刻も早く彼女を救い出さなくては!あんな場所は、彼女がいて良い場所ではない!それに論文だって?我々がいろいろと骨を折ってやったのに、結局民衆は彼女を牢に入れてしまったじゃないか。彼女がどれだけ民衆のことを思っていたか、ちっともわかっちゃいない。頼む、どうかジャンヌを助けてくれ!」
 お父さまは涙を浮かべ、髪の毛を搔きむしった。それを聞いて、あたくしはお母さまが牢にいることを初めて知ったの。

 それから、お客さまが時々家にいらっしゃるようになった。見たことのあるひとも、初めて見るひともいた。みんな、お母さまを牢から出すためにいろいろと頑張っているようだったわ。お父さまやお嬢さまのことを心から心配して、優しく励ましてくれてたのよ。
 ある夜更けに来たお客さまが、お父さまと長いことお話しされていたわ。お母さまは牢の中でたくさんの原稿を書いているのだけれど、それが偉いひとの間では問題になっているようで、もう原稿を書いても持ち出せないんじゃないかってお話だった。お父さまは、そんなことより一刻も早くお母さまを助けてほしいと言っていたのだけれど、原稿を残すことを誰よりも望んでいるのはお母さまだからとお客さまはおっしゃっていた。
 お客さまが帰りの挨拶をなさっている時に、ふとあたくしと目が合った。お客さまはじっとあたくしを見ると、お父さまに「こちらの人形は奥さまが大切にされていたものでは?」とお聞きになったわ。お父さまが、そうです、と言うと「少しのあいだ、お借りしても?」とおっしゃった。お客さまがおっしゃるには、お母さまの役に立つかもしれないから、ですって。
 あたくしは、お母さまに会えるかもしれないと思うと嬉しかったけれど、何となく心配だった。長い時間馬車に乗せられて、久しぶりに見たパリの景色は、なんだか薄暗くて、それでいて心が固くなっていくような感じがしたわ。あたくしがお店にいたころのような、綺麗なドレスを着ている婦人はどこにもいなかった。素敵な小物や宝石を売っている店もなく、ただただ街が薄汚くなっている気がした。あの頃に見た、綺麗で上品で素敵なものは、すべてどこかへ行ってしまった。残っている建物のところどころが壊れていて、汚い服を着た人たちばかり歩いていた。誰もが怒ったような顔をしていて、乱暴な歌を歌っていた。棒のような物を持って道を歩いている人が何人もいて、あたくしは怖くてたまらなかった。お父さまやお母さまが、この国を良くするために必死に頑張っていたのに、パリは薄暗くて誰も幸せそうに見えなかった。
 あたくしは暗い裏道を入ったところにある家に連れて行かれた。明かりが入らない小さな家だった。湿っていて、何とも言えない酸っぱい匂いがした。その家に入ると、何人かのひとが待っていた。

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