母というひと-011

母は4人兄弟の末っ子。
長男、長女、次男、そして次女の母の順番で生まれた。
一番上の兄とは10才以上年が離れていたから
力の差は歴然としていた。

次男は小児麻痺を患っていて
小さな頃は、栄養をつけさせるために
祖母が他の兄弟に隠れて一人だけ
毎日卵を1つ、食べさせていたそうだ。
戦後は食べ物がとにかく少なくて
たった1つの卵を毎日手に入れるために
人のツテを頼り
なけなしのお金を支払って大変な思いをしたらしい。

こんな話を聞くと、祖母なりに子供への愛情はあったのだと思う。
祖母は、茶道と華道、日本舞踊の師範の免状を持っていたが
戦後そんなものを習いたがる人はなく
女の身でもお金をしっかり稼げる仕事をと考えて
行商を選んだそうだ。

祖母が月に一度、帰宅しては置いていくわずかな米と金。
それをやりくりするのは、長女が家出した後は一番幼い母の仕事だった。
安いボロ長屋の一部屋で
毎日、毎日、飢えと暴力と闘う日々。

ひとたび一人が殴り始めると、すぐにもう一人も殴りに来る。
殴られた痛みに泣けば
「泣くな、よそに聞こえろうが(聞こえるだろうが)」と殴られ、蹴られ
殴られて痛くて動けずにいれば
「グズが、はよ飯の支度ばせんか(支度をしないか)」と殴られ、蹴られ。

反抗も抵抗もできず
二人の気が済むのを黙って堪えるしかなかったが
心の中では
(殺せ!いっそ殺さんね!殺したらいいやないの!)と
いつも、いつも叫んでいたと母は言った。
死んだ方がましだとずっと思っていたと。

時には縁の下に逃げ込んで朝までガタガタ震えて過ごした。
どうせいずれは戻らないとならないし
戻ればまた殴られるのだけど
今、ほんのひと時だけでも
暴力から逃げられたらそれでいい、そんな思いで隠れていた。

母の頭蓋骨は一部、大きく陥没している。
いつそうなったかは知らないと言う。
私がもう大人になった頃
心無い美容師が母の頭を触って、突然
「頭の形が変ですね、気持ち悪い」と言い出し
ひどく傷ついて帰ってきたことがあった。
「私の頭は変かね」と泣きそうな顔で言われ
そっと触ると、私の手(標準よりちょっと小さめサイズ)を握った
グーの形の半分くらいの大きさで
半月の形にボッコリと凹んでいた。

とても驚いたけれど
私までもが変な顔をすると余計に傷つけると思って
「そんな変じゃないよ。その美容師がおかしいんよ」と
良い言葉が思いつかず、苦し紛れに言った。

結構な大きさなので
脳震盪を起こすか何かしたのではないかと想像するが
本人は、いつ陥没したのか記憶がないらしい。
殴られて凹んだとは断言できないが
少なくとも結婚してからはそんな暴力は受けてない。
事故にもあってない。
本人に記憶がないと言うのなら
記憶が曖昧な幼少期に受けた傷である可能性が大きい。

そして私は、母を慰めながら
彼女の認知機能の低さは
もしかしてこのせいなのだろうか、と考えていた。

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