母というひと-012

母の認知機能に疑問を持ったのは
小学1年か2年生の時だった。
うっかり忘れていた算数の宿題を、母が代わりにやってくれた時。
慌てて学校に行って授業が始まって
ノートを開いた時にギョッとなった。

全部間違っていたのだ。
ただのひとつも、正解がなかった。

私は慌てて、全てやり直した。
自分が当てられるまでに間に合ったので授業には問題なかったが
母が、こんな子供の自分が分かる計算を
全くできないのだと知って愕然とした。

母は、それはひどいヒステリーを持っていた。
自分の思い通りにならないと
頭のてっぺんから出るようなキーキー声を出して怒り始める。
怒り始めたら止まらない。
時として、どう見てもこちらが正しいのに
「言うこと聞かんね!(言うこと聞きなさい)」と言うばかりで
会話が通じないことはしょっ中だった。

だから私は
(この人はいつか気が狂うんじゃないか)という不安を
次第に抱えるようになっていた。

母は
きっとひどい暴力が一番の原因になったのだろうけど
強い対人恐怖症を無自覚のまま抱えていた。
だから、外に出て働いたことはほとんどない。
子供の頃の生活が最悪に貧しくて
十分な栄養を取れなかったのも
体にも心にも、脳の成長にとっても良くはなかっただろう。

とうとう結婚するまでずっと実家で暮らし
長い間、理不尽な暴力に耐え続けた。
家出した長女は友人の家を泊まり歩いていると言いながら
外で借金をしては
「(返済金は)家に取りに行って」といい加減なことを言うので
その取り立ての相手もした。
返せる金があるなら何の問題もないけれど
そんな余裕はもちろんない。
取り立ての相手は、母のもうひとつの精神的な負担になった。

母が初めて自殺未遂をしたのは、小学校を上がった頃と聞く。
家の近くの山へ行き、石灰を飲んでため池に身を投げたらしい。
カナヅチなのに、なぜか暴れているうちに岸にたどり着き
死ねなかったと言った。

生きたいと思える要素が、母の人生にはその頃、まだ、なかった。

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