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さとがえり

 ガタタン
 ゴトタタン

 振動で窓が軋むほど古びた汽車が、田んぼの中を突っ切っている。早さを感じさせない愚鈍な速度。

 一両編成の小さな夜汽車は、黙々と走り続けて切り立った溪谷へと入り込んだ。
 誰かが開けたままにしている窓から、溪谷でたっぷりと水気を含んだ風が吹き込み、晋二の襟元を肌寒くさせる。

 川を渡ってすぐ、一人、客が降りた。
 こんな田舎のホームでは駅員もいない。客は慣れた様子で改札へ向かった。
 後ろ姿は乏しい明かりに揺れながら闇に溶けてすぐ消えるのだが、汽車はそれを待たずに走り出す。
 川のせせらぎが背後に遠ざかり、消えて行った。

 どこかから、野焼きのような匂いが漂ってくるようだ。
 あれは昼間にするものなのに。

「こんな時間じゃ間に合わん…」

 客の誰かが呟いた。
 よく見れば、風には煙が混ざっている。
 一筋、二筋?いや、もっと。
 うすくうすく、どこかしらから訪れて汽車の中に紛れ込んでくるらしい。
 細い筋のように蠢く煙は、ドアが開き、客が一人降りるたびに減って行く。そのたび汽車もなんだか軽くなって行くような。

 晋二の鼻先にも一瞬、煙が漂った。妙に懐かしい匂いだ。
「なんやこの煙」
 なんとなく呟いた晋二の言葉に、向かいの席の女性がぴく、と反応した。上目遣いで晋二をちらと見やり、でもすぐ俯く。そして次で降りて行った。

(なんか暗いのお、みんな)
 誰も何も話さない。連れのいない客ばかりのようだ。
 ガタゴト揺れて軋む汽車の音はうるさいけれど単調で、退屈さにあくびが出た。
(そう言えば今は夏休みやのに、俺、なんもしとらん気がする)
 汽車は山奥を目指すように、少しずつ高度を上げて行く。
 最後に残ったのは晋二ともう1人。ずいぶんと高齢の男性だ。

 晋二が降りる手前の駅で、男性は立ち上がった。
 杖を持ち、ゆっくり、震える足元でなんとか歩いて、危なっかしいながらも無事にタラップを降りる。
 小さな外灯のもとで夜霧が揺れ、煙が男性のそばに漂っているのが見えた。
 彼はホームへ降りると、危なっかしい足元はどうしたことか、すーっと進んですぐに見えなくなってしまう。

 ぽつんと一人、晋二だけが取り残された。
(えらい遅うなったな)
 あたりはもう真っ暗だ。
 山の中腹に差し掛かり、汽車が崖っぷちにある駅に停まる。晋二の駅だ。
 しんと涼しい夏の山に降り立つと、懐かしい匂いがする煙が、晋二の袖を引っ張った。

 それで思い出す。
 今日が盆の初日だと。

 晋二はオガラを燃やす迎え火からたなびく煙にみちびかれ、他の客らと同じように、夜道を滑るように進み始めた。
 地獄の釜からの帰りを待ってくれている、懐かしい家族の待つ家へ。

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