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息をするように本を読む57 〜井上靖「楼蘭」〜


 井上靖氏の西域小説については、以前「敦煌」の感想文を書いたことがある。
 「敦煌」では史実と架空の登場人物3人が絡み、物語が進んでいく。
 その記事で私は、この物語の主人公は彼らというより西域そのものだと思う、と書いた。

 この短編「楼蘭」では、比喩でなく、本当にこの「楼蘭」という小国家が主人公だ。
 往時の権力者、武将、王族たち等、人名も出てはくるが、誰も皆、楼蘭の長い歴史の中のほんのひとときに関わったにすぎない。

 楼蘭は敦煌よりさらに西、タクラマカン砂漠の東端にあった小国家だ。
 その存在が文書に初めて記されたのは紀元前2世紀の初め、当時西域で勢力を持っていた騎馬民族匈奴から、時の中国王朝漢に送った書簡だ。
 漢は当初、そこまで気を配る余裕がなかったのか、西域経営にあまり力を入れていなかった。
 が、迫り来る匈奴の脅威に、背に腹は替えられないということで、西域の調査に乗り出した。
 世界史の教科書にも載っているが、このときに派遣されたのが張騫だ。
 張騫は100人もの従者を率いて、西域に入った。張騫の任務は、西域の調査と、匈奴に遺恨のある大月氏国(今のアフガニスタン辺りにあった遊牧民国家)と謀って匈奴を挟撃することだった。
 張騫は行きも帰りも匈奴に捕掴され捕虜になりながらも、13年後に帰漢した。
 そのときにもたらされた西域の情報が、後の漢の積極的な西域侵攻を促したとみられる。

 そしてそのとき同時に、西域の小国家、楼蘭の苦難の歴史は始まった。いや、その前から匈奴の脅威には晒されていたのだろうが、漢が楼蘭という小国家の価値に目をつけて軍勢を侵攻させたとき、楼蘭の運命は決したのだ。

 楼蘭は砂漠地帯にあったが、ロプ・ノール(ノールは湖の意)という巨大な塩湖のほとりにあり、この湖にはこの地域で最大の大河であるタリム河が流れ込んでいた。
 東から西域へ向かう街道は楼蘭を起点に砂漠を迂回して南北二手に分かれる。中国から西へ向かう際、楼蘭は重要な位置にあった。
 それは匈奴にとっても同じだ。
 楼蘭は、漢と匈奴の勢力争いの間で、双方から従属を強いられ、双方から人質を出すように命ぜられ、大国2国に挟まれて塗炭の苦しみを味わう。そして、それは何十年も続いた。
 井上靖氏の「楼蘭」では、その過酷な歴史が史実とフィクションを交えながら、淡々と語られていく。

 そしてその終焉は突然やってきた。
 紀元前77年、楼蘭最後の王、尉屠耆は、漢から、全楼蘭人を連れて楼蘭の南部にある伊循へ移れと命じられる。
 現在の楼蘭の地では、漢の兵力で匈奴の脅威から楼蘭を護りきれないからという理由だった。
 王は臣達と合議して国民を守るために、彼らの崇める種族神、河竜の住まうロプ湖を離れ、伊循に移るという苦渋の決断をした。
 そして、新しい国を「鄯善」(「新しい水」の意)と名づける。
 彼らにとって「楼蘭」とはロプ湖ほとりの父祖の地のことであり、いつか必ず「帰る場所」だった。別の地をその名で呼ぶことなど考えられなかったのだ。
 こうして、歴史から「楼蘭」の名は消えた。
 それから200年以上経って漢が滅亡した後、中国は三国時代、五胡十六国時代、更には南北朝時代に入った。  
 紀元5世紀の半ばに北朝の魏に制圧され完全に吸収されてしまうまで、鄯善は大国の興亡に翻弄されながらも生き延びた。が、彼らの中でも、かつてロプ湖と共にあった父祖の地「楼蘭」はもはや伝説の故郷となっていただろうと思われる。

 ふたたび、「楼蘭」が歴史の表舞台に姿を現すのは、20世紀に入ってからのこと。

 「楼蘭」は長い長い年月、その城邑は打ち捨てられ忘れられ、砂漠の砂に埋もれて、存在は文献で知られるのみとなっていた。
 その正確な場所は誰にもわからなかったが、1900年、スェーデンの考古学者ヘディンの行なった大々的な調査により、砂漠の中に楼蘭の遺趾と見られるものが発見された。
 がしかし、そのときそれを「楼蘭」だとするのには確証がなかった。
 なぜなら、そこにあったとされるロプ湖がなかったからだ。
 楼蘭の民がその地を去ったあとも、いつも砂漠地帯を吹き抜ける風に青波を立てていた、河竜の住まう塩湖はいつのまにか消滅していたのだ。
 
 ヘディンは、その後62歳になってから、一大探検隊を組織して彼にとって4回目となる大掛かりな西域探検旅行を試みた。
 その調査で、かつて楼蘭に流れ込んでいたと思われ、今は枯れ川となっている水路をいくつか見つけ、そしてそのうちの何本かに水が流れはじめているのを発見した。水が溜まり始めているのも確認したという。

 この水がもっと溜まっていけば、かつてロプ湖のあった場所に再び巨大な湖が出現するのではないだろうか。およそ1600年の時を経て、河竜はかつての楼蘭の地に帰りつつあるのではないか。
 ヘディンは彼の著書「彷徨える湖」にこう記した。
 しかし、完全に元の場所に帰ってくるかどうかは、もっとずっと先の歴史に問うてみなければわからない、とも書いている。

 しかし、もしかしたら、このときヘディングの目には悠久を超えてこの楼蘭の地に戻ってきたロプ・ノールが満々と青い水を湛える光景が見えていたのかも知れない。

 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。


 現在、この地は中国、新疆ウイグル自治区という苛烈な厳しい地域にあり、現状を確認することは難しい。
 ただ伝え聞くところによると、ロプ湖は1970年代にすっかり干上がってしまったという。
 その涸れた湖底には大量の塩やカリウムが堆積していて巨大塩田の開発も行われ、人工湖が出現しているとも聞く。
 
 2000年以上もの昔、河竜に守られて砂漠に咲いた花のような王国、楼蘭の面影は、もうどこにもない。
 ただ西域を愛する人々の心の中に残るのみ、なのかもしれない。


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