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息をするように本を読む

 本を読むのが好きだ。
 幼いときは、それと意識したことはなかった。当たり前のように本を読んでいたし、みんなそうだと思っていた。
 いつの頃だろうか、近所の同級生のお母さんに、「本、好きなんだね。偉いねえ」と言われて戸惑った。本を読むことは偉いこと?特別なこと?
 なんだか、違和感を感じた。子ども心にそのお母さんの褒め言葉(に聞こえる言葉、かな)の中に含まれる何か別の、自分たちとは違う人種に向けた線引きを感じたのかもしれない。
 ともあれ、それで私は自分が本好きな人間なのだと自覚した。本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 
 中学の頃、親の仕事の都合でシンガポールに住んでいた。(それについての詳しい話は別のところで書いている)


 突然の異国への転校である。テレビは言葉がわからない。近所に遊ぶ友達はいない。今のようなネットなどというものもない。
 そこで本に助けられた。本がなければ、中学生の私は煮詰まっていたと思う。毎日毎日本を読んでいた。
 ただ、新しい日本の本はなかなか手に入らなかったので、持っていった本を覚えてしまうまで繰り返し読んだ。
 「同じ本、何回も読んで面白いの?」とよく聞かれる。
 それは人によると思う。一度読んだ本はもう読まないという人もいるだろう。が、私は何回でも読む、というか、読みたい。

 
 その頃に特に繰り返し読んでいたのは赤毛のアンシリーズ全10巻(モンゴメリ作 村岡花子訳)だった。他の人の訳もあるようだけど、私はやはり村岡さんのが好きだ。どの巻も何回読んだかわからない。今でもたまに読み返すし、好きなシーンは台詞まで覚えている。


 夕焼けに感動するアンに誰かが何か特別なことでもあるのかと尋ねる。アンはこう答える。
「夕日はいつも特別よ。まあ、あの雲をみてごらんなさい」
 

 モンゴメリの作品は他にも村岡さん訳のものが何冊かある。全部持っているし、大好きだ。
 よりモンゴメリの精神的自伝に近いと言われるエミリーシリーズ3巻。
 心温まる「丘の家のジェーン」。
 アンが読んだら「なんてロマンスなの!」とか言いそうな「果樹園のセレナーデ」。
 おそらく2巻組みなのに、なぜか下巻だけしか村岡訳がない「パットお嬢さん」。
 わたしは彼女たちと友人になれてほんとうによかったと思っている。


 繰り返し読んだ作家は他にもいる。
 オルコット、マーク・トウェイン、マーガレット・ミッチェル、山本周五郎、井上靖等等。
 そしてこれは友人たちに笑われるのだけど、私はミステリーも好きなものは繰り返し読む。ストーリーもトリックも犯人も分かっているのに面白いのかと問われるが、私には面白いのだ。
 横溝正史、松本清張、西村京太郎、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティー。
 他にもたくさん。
 まあ、その話はいずれまた。

 本という存在にほんとうに感謝している。
 本がある世界にいられてよかった。
 

 


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