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つれづれ雑記 *きれいの秘密は、の話

 今回は、ちょっとした自慢話である。
 他人の自慢なんぞ、聞きたくないと思われる方々は申し訳ないがスルーしていただきたい。
 
 ……あ、いや、でも、そこまで大した自慢でもないので、まあ、読んでやってもいいかなと思われる方は、ちょっと目を通してくださると、とても嬉しい。

 冷蔵庫の話だ。
 冷蔵庫は、主婦が中を見られたくない場所、ベスト5に入ると聞いたことがある。
 
 母の実家、つまり私の祖父母の家の冷蔵庫の中は、なかなかのものだったと記憶している。
 祖父母の家は大家族だったので、台所に置かれている冷蔵庫はとても大きなものだった。それがかえって災いしたのか、冷蔵庫はたいてい満杯だった。
 お皿に入ったおかずの残り物や近所からの貰い物、開封済みのソーセージとかお漬物、ジュースやゼリー的なものも季節を問わず入っていた。
 そういう、既にたくさん入っているものを片付けないで、あるが上に買ってきたものを入れるので、どんどん奥へ内容物が押し込まれてしまう。
 食べ物やそれに類するものをとりあえず入れておく、物置代わり?になっていたのではないかと、今にして思う。
 
 祖父母の家は農家なので、一年中、家族総出で忙しくしていたから、冷蔵庫の中の確認整理なんてそうそう出来なかったということもあったのかもしれない。

 しかし、大人になってから知り合いの話を聞くと、どうやらそれは、結構あるあるの話、らしくて。

 冷蔵庫の整理や掃除はすっごい苦手でつい後回しになってしまう、と言っている友人もいた。
 他人に開けられるの、絶対イヤやわー。
 主人のお母さんなんかに見られた日にゃ、もう……。

 さて、ここからが自慢話である。

 我が家の冷蔵庫の中は、とてもきれいなのだ。(エッヘン)
 いつ、誰に開けられても困らない、恥ずかしくない。
(ね、大した自慢話じゃなかったでしょ?)

 だが、ネタバラシをしてしまうと、これは決して私が几帳面だから常に冷蔵庫の中身がきちんと整理整頓されていて…という話ではない。
 早い話が、我が家の冷蔵庫には物がない。
 だから、ごちゃごちゃになりたくてもなりようがない、ということだ。

 実は私は、冷蔵庫がいっぱいになっている、という状態が非常に苦手なのだ。

 冷蔵庫にもフリーザーにも物がびっちり入っていると安心する、と言う人もいるようだが(私の知り合いにもひとりいる)、私は冷蔵庫が満タンだと、あれもこれも急いで使ってしまわないといけない気がして、ものすごく焦ってしまう。強迫観念、とでもいうのだろうか。

 私は日々の買い物は、近所のスーパーに徒歩で行く。食品だけでなく、洗剤その他の日用雑貨も買うので、たくさんは買えない。歩いて帰るのに、持てる重さに限りがあるからだ。
 が、私にはむしろそのほうがいい。
 安いからと買い込むのを防いでくれる。
 だから、店でもカートは基本的に使わない。超がつくほど鈍臭くて取り回しが下手なので他のお客さんに迷惑、ということもあるが、カゴを持って買い物をしていると、その重さでリミットがわかるからだ。

 なので、我が家の冷蔵庫はいつもスカスカだ。
 扉を開けると、だいたいずっと奥まで見渡せる。汚れてもすぐに拭ける。何より汚れがよく見える。冷蔵庫を開けて、あれ、どこに入れたっけ、ということも、まず、ない。
 もうひとついいことがある。
 在庫の把握がしやすいので、ダブり買いや買い忘れはほぼ、ない。使うのを忘れていて廃棄したことも(たぶん)ない。

 そして、我が家の冷蔵庫がきれいである理由が、実はもうひとつある。
 
 次女が小学生の頃、我が家によく遊びに来ていた同級生の女の子、Kちゃんがいた。
 
 2人で家の中や外で遊んでいて、喉が渇いたと台所へやってくる。
 (余談だが、我が家の冷蔵庫には飲み物は基本的に麦茶と牛乳と湯冷し、あとボトルコーヒーしか入っていない。ごくたまにビールやジュースの缶が入っていることがあるが、それはほとんどの場合、貰い物である)
 ひと声かけてくれたら、いつでも自分達で冷蔵庫から麦茶を出して飲んでいいよ、と告げ、食卓の上にそれと決めたコップを2つ出しておくと、めいめいで冷蔵庫から出した麦茶を自分たちで注いで飲んでいた。
 
 ある日、次女が「Kちゃんがね、ウチの冷蔵庫の中、めっちゃきれいやね、って言うてたよ」と言った。
 え? そうなの? 
「うん、麦茶を冷蔵庫から出すときに見るやん。そしたらね、〇〇ちゃん(次女のこと)ちの冷蔵庫、きれいやねえ、って」

 まあ、さっきも書いたとおり、我が家の冷蔵庫には物があまり入っていなくて、とてもサッパリとしている。それをKちゃんはきれいと評したのだろう。
 
 しかし。それでも、人は褒められるととても嬉しい。たとえ、それが小学生にだったとしても。いや、小学生だったからこそ、そして、直接でなく伝聞だったからこそ、なんだか、お世辞でなく本当に評価されたようで、嬉しさは倍増するものなのだ。

 それから、もう10年以上が過ぎた。
 我が家の冷蔵庫の中が今も、そこそこきれいな状態を保っているのは、Kちゃんのおかげだと思う。
 Kちゃんの言葉を思い出すと、そのたび、きれいにしておかなくちゃ、と思うのだ。
 
 当の本人はそんなこと、もう忘れているだろうけど。

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