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「光る君へ」うろ覚えレビュー《第6話:二人の才女》

今回はドラマの中のセリフにも注目してみた。
中にはちょっとベタなものもあるが、名言もある。

もうドラマの時系列もストーリーもぶっ飛ばして書いおり、ドラマを観てない方々にはわけわからない内容だったら申し訳ない。
それにしても、一週間が早すぎる。

漢詩の会

道長にとって「大きい方のお兄ちゃん」である藤原道隆。実は彼は大の酒好きで知られるが、ドラマ内でも嬉しそうに酒を飲んでいた。

酒好きで有名

そんな彼が、自らの政治的立場を強固にするために若い有望な貴族たちの囲い込みを狙ってウケのよさそうな漢詩の会を催した。
そこでは達筆の藤原行成、多才な藤原公任、モテたと言われる藤原斉信、そして藤原道長など新進気鋭の青年貴族たちが揃い、漢詩を披露したのだった。

道長ってわりと大胆ね

そしてこの男たちの漢詩の会に、まひろと桔梗も加わったのである。
第6話では桔梗、つまり清少納言がついにご登場となった。
彼女の顔を見れば、最初から臨戦態勢に入ってたんだよな。

会では、興味深い漢詩が次々と披露された(特に道長の)が、漢詩の達人である公任の作品について、述べたまひろの感想は、要は「白楽天はくらくてんのように素敵やん」というものだった。

字一色ツーイーソウみたい。めっちゃすごい!

ところが、それを桔梗はあっさり否定した。
「ちゃうやん。白楽天よりむしろ元微之げんびしちゃう?」

ちゃう。字一色よりむしろ緑一色リューイーソーやろ。

ああ、そう来たか。
桔梗についての第一印象は、主人公への対抗キャラクターとして登場するありがちなライバル設定だと感じた。
まひろ(紫式部)と並べるとどうしても桔梗(清少納言)の性格ってこのように区別されがちだ。

印象では、ドラマの清少納言の設定自体は、「(演者の)ファーストサマーウイカには合ってる」感じ。
つい数ヶ月前までファーストサマーウイカというのが歌手かバンドのグループ名だと思っていたほど、演者のことを知らないあたしではあるが。
あの人はわりと素に近い感じで演じているのではないか?

ナゴン推しとしては、清少納言がいかに思慮深く、自分で自分に課した悲しい使命を持って『枕草子』で何を描き演じていたのか、何を目的として書き上げたのかを世界に理解してもらいたい。
そのために、以下の山本淳子先生の本をオススメしたい。
結構売れた本だが、まだだったらぜひ。とても読みやすい。
もう、あたしゃこの本を何度読み返したか。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784022630575

これを読めば、「勝ち気で自慢話ばかりする」のが清少納言だと思っていた人も彼女を見る目が変わると思う。
ドラマに余裕があれば、彼女の強さと脆さと悲しみがストーリーの中でうまく描かれて欲しい。

藤原兼家一家のセリフ合戦

家族でありながら、どこか気を許せずお互い油断できない関係でもある藤原兼家一家。
彼らの言葉を見てみよう。(全員じゃないけど)

「道兼の所業は今宵限りで忘れよ」by父・兼家

まひろの母を殺した道兼をかばうというより、悪い意味で前向きになってサラリと言ってのけた兼家。
もう彼は次のことを考えてて過去のことを振り返るつもりなどない。
前に進み、家が繁栄するなら子供は駒。
この図太さが兼家の一族に繁栄をもたらしたのか。

「兄上には泥をかぶってもらわねばならぬゆえ、と父上が…」by 道長

道長が、兄の道兼に「お前はしょせん父親の駒なんやで」的なことを思い知らせようとして、あえてそう言ったのかもだが、道長自身の言葉ではなかったところがダサい。
だって、「お前はアホや!」って全力で本人に言ったあとで、「…って◯◯くんが言ってた」と他人のせいにするのに似ている。
その道長の言葉に対し道兼は、即座に「父上のためなら、ためらいはない」と返した。やはり、彼はすでに政治家の秘書並みの真っ黒さです。
あたしは彼が次に「あの方」に仕掛ける大芝居を待っている。

「俺たちの影はみな同じ方を向いている」by道兼

これいいよね。
道兼を責めた道長に対して道兼が言った言葉である。
「自分だけきれいなところにいてると思ってんのかもしれへんけど、足元見て見ぃや」的な言葉が上記のセリフの前につく。
不気味なことに、烏帽子姿の道長の影も道兼の影も同じ角度に傾き、伸びていた。なかなか芝居がかったセリフだが(芝居なんだが)、もちろん現実でそんなことを口にしたら「何を当たり前のこというとんねん」と言われるおそれはある。

ふと気づくと、ひまつぶしに世間話をする自転車屋のじいさんの影も、彼にとっ捕まって相槌を打つあたしの影も同じ方向を向いているのである。

直秀ファン増殖中

まひろについて仲間が直秀に言った。
「お前、あの子に惚れてるんちゃうかぁ?」
その答えがこれだ。

「俺は誰にも惚れねえよ。明日の命もしれぬ身だ」

こんなん言うやつに限ってカッコいいし、絶対モテるし。
平安時代のツンデレ、直秀。

だが、上記を言葉通りに受け取ってはダメだ。浅い。
彼が惚れないのは自分が危ない橋を渡るような生活をしているからだけじゃない。賢い彼は自分の身分が最下層に属していることを自覚している。
だからこそ、身分違いの恋など虚しいことだと気づいており、そこに足を踏み入れないようにしているのだ。
残酷な現実である。
それにしても、いつか直秀が死んでしまいそうな胸騒ぎがして仕方ない。

異次元の源倫子

再度言っとくが、この人藤原道長の正室となる人なのだ。
すでに道長の父の兼家が、息子の妻にと目をつけている。
今、ドラマの中であたしが一番好きなのが倫子だ。
「いつも張りつめていて疲れません?」などとまひろに話しかける優しい倫子。優しいんだが、あんまり深く考えてもいない感じで、なんなら頭の中は全く別のことを考えているかもしれない雰囲気が良い。

「苦手は苦手ということで参りましょうか」

貴族のお姫さまらしく、鷹揚な寛容さでまひろをねぎらう倫子。
そこになんの計算もないが、同時に心からの言葉でもないかもしれない不安な気分にさせるのも倫子の異次元さゆえか。

だが、別のときにはこんなぶっ飛んだ発言も。

「ほくろかと思えばハエでしたのー!」

前回、自宅に入った強盗についてどこか嬉しそうに語っていたのに続き、倫子のこのような天然さ。
でも、多分、多分だけど。
直秀が聞いたら、イラっとするんじゃないかと思う。

どうしよう。倫子と直秀。
相反する2人が好きだ。

藤原行成豆知識
皆さんご存知の通り行成とナゴン(清少納言)は、友達以上恋人未満のようなモダモダした関係だった時期がある。(←英検に出る重要ポイント)

清少納言は和歌で知られた清原家の出身で、彼女自身も優れた歌人だ。
『百人一首』にも選ばれている彼女の歌、
「夜をこめて鳥の空音そらねははかるともよに逢坂あふさかの関は許さじ」
は、行成との手紙の応酬の中で生まれた。
つまり、この歌は行成に宛てて詠まれたもの。意味を知れば、行成がナゴンに手厳しくあしらわれているのがわかって笑える。
でも行成は全く気にしてないから。
実はこれは疑似恋愛のお遊びの和歌だった。
気になる方は、歌が詠まれた経緯がわかる『枕草子』や『御拾遺和歌集』をぜひチェックしてほしい。