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罪悪感と寂しさ

罪悪感についての本を2冊読みました。

根本裕幸 『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてくなる本』
イルセ・サン 『身勝手な世界に生きる真面目すぎる人たち』

本にあるワークはまだやってはいないのですが、そもそもの私の心の不調の根元が罪悪感であり、その罪悪感は孤独の寂しさであるということがわかりました。

2冊の本に共通するのは、理不尽な経験が、自分ばかりを責める罪悪感をうみ、その罪悪感の裏側は、『私を見て!』と訴える寂しい自分なのだということです。

すべて図星です。

幼い私は、母に笑いかけて欲しかったし、苦しい時「大丈夫よ」と抱きしめて欲しかった。
ところが母は、病弱な私を鬱陶しそうに見ていて、病気になると「気持ちが弱いから病気になる。早く治さないと、友達とも遊べないし、学校にも行かれない」と脅し、熱を出すと暗い離れに隔離して祖母に看病をさせていました。
母から「大丈夫?」「治るまでそばにいるからね」と声を掛けられた記憶はありません。

病気でないときや、丈夫になってからも、母は私に対して冷たく、前にもnoteに書きましたが、妹の友達が遊びに来ている時に「お姉ちゃんは変わっているから人に会いたくないのよ」と言いました。
親戚が集まると、幼い従兄弟たちを私に預け、大人同士で話をしていて、私がその話に加わりたくてその場に行くと、「大人の話をしているんだから、子どもはあっちに行っていなさい」と、別室に行くようにたしなめました。

大人になっても、母から何かを相談されることはありませんでした。結婚して子どもが生まれても、母は仕事が忙しいという理由で孫の世話をすることは無く、出産で実家に帰っている時は祖母が世話をしてくれていました。
そう言えば、出産後私が胃腸炎にかかって動けないでいたとき、お腹が空いて泣く娘を抱えながら母が、「おっぱいくらいあげられるでしょう?起きなさいよ」と言っていたことがあります。

何が原因だったのか、母の態度は、明らかに私を『毛嫌い』している態度でした。
病弱だった頃は看病が面倒だったのかもしれないし、病気ばかりして笑顔の少ない子どもに愛情を抱かなかったのかもしれない。
理由は想像しようと思えばいろいろあるのですが、私を避けていたことは間違いありません。

幼少期に実の母親に毛嫌いされていた経験は、ネグレクトに近いものがあります。
本当のネグレクトのように、存在自体を無いもののようにされるのは、大変な被害を及ぼしますが、コミュニケーションがほとんど『否定』の言葉というのも、存在を言葉で否定されているのですから同じような被害を及ぼします。
かくして私は、実母から存在を否定され、否定されるだけでなく、ありのままでは悪い存在だと刷り込まれてきたのです。

親からの刷り込みは、その後どんなに好意的な出会いがあろうとも覆すことは難しいのです。
そもそも、
『ありのままで存在すると、迷惑でしか無い』
という間違った解釈をしてしまったために、ありのままを隠すか、ありのままではない自分に作り替えていくか、どちらかしか生きる道が無くなります。
生まれたばかりで背負わされた罪悪感が、消えることなく今でも影響し続けているわけです。

幼少期の刷り込みは、本末転倒な結果も引き起こします。
ありのままでは存在してはいけない
という解釈をしてしまった私は、
直感に従って行ったことが、正しく誰かの役に立つものであった時でも、それは間違いだと認識してしまうのです。
そして『ありのままの私が役立たず、あるいは迷惑な存在だと証明するために』わざと、正しくないことを行って、私の存在を悪いものにしてしまうのです。

例えば、本当に大切な人との約束に、わざと(表現が難しいですが、本人は無意識だけど本能的に)遅れて行って不快な思いをさせてしまう、迷惑をかけてしまう、というような行動に出てしまいます。
初めから、自分は迷惑な存在だという罪悪感があり、それを証明するような行動を取る。
そして本当に相手に迷惑をかけてしまい、自分が迷惑な存在であったという確証を得るのです。

それは、本当なら振り向いて欲しかった『大切な母』の価値観を評価する動きなのかもしれません。
母のことを憎みながらも、唯一無二の命綱だった母の言ったことやったことは否定したく無いという心の動きなのでしょう。
もし母のことを全否定してしまったら、私はそもそも誰一人その存在を擁護する人間が居ないことになってしまいます。
疎まれていても、母だけが私の命を繋ぐキーパーソンだったということは間違いないのですから。
その役割は、父でも祖母でも無いということは、どうしようもない事実です。

そう言えば、先日、『ひとりぼっちのスパイイルカ』という番組を観ました。
ロシアでは秘密裏に海洋生物をスパイとして調教するということが行われているそうです。
たまたまその施設から逃げ出してきたであろうシロイルカが、ノルウェーの海岸に現れます。
人の手で育てられてきたため、野生の群れに戻ることはできず、人間の住む海岸を伝って南下し、大都市オスロの港に出没して、人々の人気者になります。
人が大好きで、人が海に落とした物を拾ってきて、愛嬌を振り撒く。すると人が嬉しそうに撫でてくれるので、さらに人に近づいてきます。
そのイルカは、人の手で育てられてきたので、人に媚びることでしか生きる方法がありません。
キッカケは軍事利用という血も涙もない目的。
それなのに、自分は人を頼って生きる動物だという刷り込みに従って一生を終えるしか無いのです。
イルカを育てた人間に、愛情のカケラも無かったとしても、それが生きる糧だったのですから。

私も、罪悪感という調教をされてしまった人間です。調教を施した母は、ある意味使命を果たしたのです。
そこから自力で、罪悪感を持たなくても良いと自分に言い聞かせるには、かなりの労力と時間を要します。

人間だけでなく、動物は1人で生まれて生きていくことはできません。
親や庇護者というのは命綱であり、もうその綱が無くても生きていけるにも関わらず、その時親と共に生き延びてきた経験が、生き延びる方法として体に刷り込まれてしまうのです。

罪悪感というのは、本当に自分が悪いと思い込んでいるわけではなく、親に見捨てられて孤独にならないための作戦だったわけです。
本当は、寂しい子どもが生きるために本能的に自己防衛しているのだと思います。

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