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[短編小説]『呪縛』を打ち破れ!

 「では、最後の質問です」と記者が言った。
 「やっと終わりだ」、と苦行から解放されることに安堵した。記者というのは退屈で同じような質問を繰り返す。プロ野球選手になってから、思い知らされたことだ。
 どうせ「今シーズンの抱負は?」とか「今年の目標は?」とか、そんなところだろう。端から用意していたコメントを頭の中で準備した。
 しかし、目の前の記者は想定していた質問と違ったことを聞いてきた。
 「江出(えずる)選手の野球人生の中で、一番のターニングポイントはどこですか?」
 「‥ターニングポイントですか?」
 記者に質問された瞬間、自分の口角が上がっていることに気がついた。待っていた狙い球がきた!、そんな感覚だった。
 「甲子園出場、プロ一年目でノーヒットノーランした試合、去年の日本シリーズの第七戦で登板してMVPを獲得した‥」
 「ちがいますね」
 俺は記者の言葉を遮った。記者は自分の当てが外れたためか、少し悔しそうな表情になった。
 「私のターニングポイントは高校一年の時のクラスメイトとの出会いですね」
 「それは‥野球部のチームメイトということですか?」
 「ちがいます。バンドマンです」
 突拍子もない理由に、自分で言って自分で笑ってしまう。
 記者が一瞬、がっかりした表情に変化したことを、俺は見逃さなかった。野球の話題と乖離しそうな流れを、スポーツライターとしての嗅覚が読み取ったのだろう。
 しかし、いつもは記者のくだらない取材に付き合ってやっているんだ。今日くらい俺の話に付き合ってもらおう。



 マウンドに上がると、グラウンドから校舎までの様子が把握できた。俺を見つめる野球部員たちの視線、校舎のベランダからも、昼休みということで野次馬と化した生徒たちが俺を見ている。品定めするような視線に晒されることは慣れっこだ。今更、人に見られることで緊張なんかしない。
 白のワイシャツの右袖を捲った後、キャッチャーに合図する。脳内でイメージした投球フォームを自分の動作に落とし込む。振りかぶって投げたボールは、狙いをつけたキャッチャーミットにピタッと収まった。

 「131キロです!」

 スピードガンを持った坊主頭の先輩が宣言すると、周りの野球部員から「おおー!」と驚嘆の声が上がった。
 「やっぱり、浜岸(はまぎし)ナツだよな?西中の浜岸だ!」
 俺の隣で投球を見ていた野球部キャプテンが興奮して話しかけてくる。
 「両親が離婚したんで、今は浜岸じゃないです。江出です」
 俺は律儀に訂正を入れながら、クラスメイトの牧(まき)から、預かってもらっていた学ランを受け取ると袖を通した。
 「浜ぎ‥江出!野球しようぜ!入部してくれよ!」
 キャプテンが興奮したまま勧誘してくる。周りの野球部員も「制服で投げて131出るってやべえ」と騒いでいる。牧に付き合わせてしまっていることに申し訳なさを感じるため、早く切り上げたかった。
 「『一球投げて、見せてくれたら諦める』って言いましたよね?」
 丁重に断りを入れているにも関わらず、キャプテンは尚も食い下がってくる。
 傍から見ると、入学したばかりの一年生に三年の先輩が必死に頭を下げる光景だ。居心地が悪い。校舎の生徒たちも少なからず盛り上がっているみたいだ。
 さっさとここから離れよう。
 「すみません、先輩。野球は中学で辞めたんです」
 俺がきっぱり言うと、先輩は肩を落とした。

 
 六限の授業が終わった後、俺は牧と二人でベランダに出た。一年生の教室は三階に位置している。このベランダからは下校する生徒たちやグラウンドの部活動の人間たちが一望出来る。野球部がストレッチをしているのも確認できた。
 「お前さ、本当に俺と軽音部でいいの?」
 「牧の方から誘っといてそれ言う?」
 俺たちはベランダの手すりに寄りかかってグラウンドを見下ろした。
 牧は入学してから知り合ったクラスメイトだ。
 牧は自己紹介の時に「高校でバンドを組みたい」とみんなの前で宣言していた。しかし、周りの人間は流行りの『打ち込み系の音楽』を聴いていて趣味が合わなかったらしく、バンドをやろうと誘っても誰も首を縦に振らなかったらしい。高校生で自分のやりたいことがはっきりしている奴なんて珍しいな、と俺は牧に興味を持った。そして、入学から一週間くらいして牧が俺のことをバンドに誘ってきた。理由は俺が帰宅部だったこと。そして、牧のバンドの話を興味深そうに聞いていたのが、クラスで俺くらいだったから、とのことだった。
 「それは、ナツがあんなすげえ球を投げられるなんて知らなかったから」
 「別にあんなのなんともないよ」
 俺は謙遜して言った。
 「怪我とか?」
 「ちげーよ」
 「怪我以外に部活を辞める理由って何?」
 牧の曲がったところがない人柄のためか、俺は「こいつになら話してもいいか」、という気持ちになっていた。
 「親だよ」
 「親?」
 「そう。両親が離婚したんだ。俺の野球のせいで」
 俺が理由を言うと、牧は何かに思いを巡らせる表情をした。
 「親父がさ、面倒くさい奴で。”野球にうるさい日本人”っているだろ?」
 「ああ、うちの親父もスポーツ選手にめっちゃ上から目線だわ」
 牧の家もそうなのか。自分の父親が野球中継やサッカーの代表戦に声を荒らげて選手を罵っている様を思い返した。そんな光景が他所の家でも繰り広げられていると思うと、うんざりする気持ちになった。
 「親父は、俺に子供の頃から野球をさせて、俺はずっと怒られてきた。『何で打てないんだ!』『何で抑えられないんだ!』『こんなこともできないのか!』って。でも子供の頃は”親の言ってることは正しい”って思うじゃん?」
 俺は過去の自分を思い返した。子供の頃の俺は、親父のことを信じたかったのだと思う。”自分の父親はまとも”なんだって。でも、まともな親なら、何かに打ち込んでいる人を罵ったりしない。
 「そうしたら、中学の時に、お袋が親父にキレちゃってさ。‥もう散々だったよ。結局、それで離婚した。俺の野球が原因で。馬鹿みたいだろ?」
 自分で言葉にしてみて、本当に”馬鹿みたいな話”だと思った。しかし、自分で言葉にしてみると、自分の芯の部分が削がれるようなかんじがした。
 「で?」と牧が言ってくる。
 「今はお袋と一緒に暮らしてる」と応えると、牧は「いや、そっちじゃなくて。野球はどうすんだよ?」と聞いてきた。
 「俺が野球やると、お袋が嫌な顔すんだよ」
 「親は関係ねえよ。俺はナツの気持ちを聞いてんだよ!親に嫌々やらされて、あんなすげえ球投げられるかよ! 野球、好きなんじゃねえの?」
 牧が段々とムキになっていく様子に、俺は少々気圧される。
 「才能あるなら続けろよ!それを活かさない手はないだろ?しかも、自分の好きなことなら尚更だろ?」
 俺はその時、牧にものっぴきならない事情があったのだろう、ということを察した。きっと、牧にも親のことで何か鬱憤があって、”一矢報いたい”という思いがあるのだ、と。牧にとって、その手段が『バンドで音楽をやる』ってことなのだった。
 「‥バンドはどうすんだよ?」
 「解散だ。『方向性の違い』でな。バンドにありがちだろ? だから気にすんな。お前は心置きなく野球やれ」
 牧の軽口に、俺の心は軽くなった。
 俺はこの時の、身体の中から力が漲るような感覚を、今でも覚えている。誰かが背中を押してくれることの心強さ。味方がいることの安心感。俺にとってこの体験は、忘れられない人生のターニングポイントになった。
 俺が『親の呪縛』から解き放たれた瞬間だった。
 牧は照れ隠しなのか、下校する女子生徒を見て「あっあの子、可愛い」と言って、さっきまでの空気を逸らした。
 「そうだ!いつかプロの選手になった時に、今日のこと話してくれよ。『友達が背中押してくれた』ってさ。俺と出会ってなかったら、ナツは野球を辞めて、プロになれなかったってことだろ?」
 牧が自然に俺との間柄を”友達”と呼んでいることに、俺は気恥ずかしくなって、「『プロまでやる』、なんて言ってないぞ」と愛想の無い返事をした。
 グラウンドの奥から差す西日が校庭のあらゆる場所で反射して光を放つ。女子のスクールバッグに付いたキーボルダー。吹奏楽部の金管楽器。プールの水面。あちこちから放たれるきらめきが眩しかった。
 「俺がメジャーデビューするのが先か。ナツがプロ野球選手になるのが先か、競争だな」
 牧の子供じみた提案に思わず頬が緩んだ。高校に上がったらこんな変な奴がいるのか、と思った。
 「‥気が向いたらな」
 俺はそう応えた。
 それから、翌日に野球部へ入部届けを出した。


 「つまり‥今の江出選手があるのは、そのご友人との出会いのおかげだと?」
 記者が手元のノートにペンを走らせながら俺に聞いてきた。メモを取っているようだが、”一応記録しておくか”といったかんじだ。
 スポーツ選手の身の上話というのは、思いの外興味を持ってもらえない。みんなが関心を抱くのは『年俸』や『重要な試合のドキュメンタリー』といった、食卓や雑談の場で好き勝手言える事柄ばかりだ。
 隣に居た球団の広報の職員が「そろそろ時間です」と言ったので、お開きの空気となる。
 「この後も練習ですか?それとも何か用事があるんでしょうか?」と、記者がカバンに取材道具を仕舞いながら話しかけてくる。
 「今日は知り合いが、ライブをするから観に行くんですよ」
 「江出選手のお知り合いが、ライブ、ですか?」
 「メジャーデビューしてから、はじめての大きい会場なんです」
 俺が言うと、記者は間の抜けた顔をした後、すぐに携帯端末で今日のライブの予定を検索しはじめている。
 「何ていう名前‥、バンド名ですか?」
 「『re:restart(リ:リスタート)』です」
 記者は検索を終えると、徐々に困惑しはじめた。映画のラストでどんでん返しが起こったような、そんな表情をしている。
 確かによくできた話だ、と思う。クラスメイトがプロ野球選手になり、その友人がバンドでメジャーデビューする。この事象が重なるのはどのくらいの確率なのだろうか。けれど、俺は今の現実が夢物語だと思えなかった。なぜなら、俺と牧は、学生時代のあの時、あのベランダで、『親の呪縛』を解き放った。
 世の中には親に恵まれ、人生を優位に進められる人間がいる。そして、その逆で親が足かせになり人生が行き詰る人間もいる。しかし、「親で人生が決まるか?」といわれれば、そうとは限らない。辛い思いをしたからこそ、強くなれることもある。俺はそう信じたい。
 「もしかして、このバンドですか?!最近SNSで人気になっている。‥ 『Vo.&Gt. 牧ユウタ』 この人が、さっきの話に出てきた江出選手の同級生の、”牧さん”ですか?!」
 広報の職員も一緒になって記者の携帯端末を覗き込んでいる。俺は狼狽している二人を見て、してやったり、という気持ちになった。
 「チケットが届いたんですよ。『特等席で俺の勇姿を見せてやる』ってメッセージといっしょに。あいつの晴れ舞台で空席を作るわけにはいかないんで」
 俺は座っていた椅子から立ち上がり、移動の準備をはじめる。二人はまだ信じられないといった様子で、俺の言葉に耳を傾けていた。
 「でも、牧には一言言ってやるつもりです。『勝負は俺の勝ち』だって。私の方が先にプロ野球選手になれましたから」
 そんなこと言うと、牧は何て言うだろうか。また、ムキになって俺に言い返してくるに違いない。想像したら、面白かった。
 俺が扉に向かって歩き出すと、背中の方で記者が広報の職員に興奮して何かを言っているのが聞こえた。今の話について、追加取材の申し込みをしているみたいだ。
 俺は部屋から出ると、後ろ手で扉を閉めた。そして、牧の待つライブ会場へ歩き出す。



終わり。 


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